「性善説」と「性善悪」

人間はどっちだ??

 

 

っていう話があります。

要するに、生まれた時は全員善人。

環境や飢餓、欲などで悪に染まる時がある。

 

 

っていうのが「性善説」

 

 

逆に、人間は生まれ持って「悪」である。

なので、誰もが自由に生きると略奪などが起きるため

礼や規律、教育や模範を持った社会を作る必要がある。

 

 

っていうのが「性悪説」

 

 

自分の生命が危ぶまれた時

人は、人の命を奪ってでも略奪し

 

 

天災が起こったら

自ら先に逃げ出そうとする。

これを「悪」だと言ってるわけです。

 

 

この場合の「悪」は

人間としての倫理からみた「悪」ですね。

 

 

生物としての本能が悪かどうか?は

また別の話。

 

 

でも、生物で別の

こんな話があります。

 

 

飢餓や災害時、子供がいる親と

1人の人間の生存率は大きく違って

 

 

圧倒的に子供がいる親の方が

生存率が低い。

 

 

これは、自分の食べ物を

子供に分け与えるから

自分は早く死ぬ。

 

 

そして、もっと言うと

飢餓の時に略奪して生き延びた人たち。

そして、災害時に人を見捨てて我れ先に生き延びた人たち。

 

 

この人たちは

後生で後悔する人たちが多い。

 

 

なぜ、あんな事をしてしまったのか。

それで生涯、後悔で過ごす。

 

 

これは性善でしょうか?

性悪でしょうか?

 

 

非常に難しいですが

 

 

わたしはやはり

「性善説」だと思っています。

 

 

生物上の話をすると

ただのホモサピエンスという動物なので

「死ぬまで生きる」だたそれだけの話。

 

 

「無」です。

 

 

ただ、犬や猿、その他の知能が高い生物になるにつれて

「愛」や「心」が生まれる。

 

 

「性善説」や「性悪説」に疑問を持った時点で

ホモサピエンスは「死ぬまで生きる」という本能に加え


「性善を併せ持った」

ってことでしょう。

 

 

ただ。

 

 

 

 

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こと、仕事に関しては

完全なる「性悪説」です。

 

 

「人間は性悪だ」という意味ではなく

「性悪説」を前提に仕組みを考えないと



「性善説」にできない。

 

 

何か不正が起きた時

いつも言うのは「不正を起こせる仕組みが悪い」です。

 

 

「不正を起こさせない仕組みにする為」に

最も大事なことは「数字を正確に把握する仕組み」

 

 

数字を正確に把握することで

1円でも変わればすぐに分かるようにすること。

 

 

そして、1円でも変わった時に

「この程度であれば誤差」だから

まぁいっか。

 

 

みたいな

 

 

「誤差」を容認するような

組織風土にしては絶対にいけない。

 

 

だからこそ

数字には厳しく

数字をめちゃくちゃ見ている。

 

 

仕組みも作りながら

絶対に誤差さえ許さない。

 

 

っていう、鉄壁の企業風土が

不正を防ぎ、お互いの信頼を深め



 本当の意味での「良い環境」を作る。

 性善説な組織。



なので、何度も何度も何度も言いますが

数字を蔑ろにする人は絶対に信用しない。



どこに何がどう使われているのか?

頭の中でわかってます。



ってよく聞きますが

散らかりまくってるゴミ部屋で



どこに何があるのかわかってます。

って言ってるのと同じ。



誰でも一目見て分かるようにしなければ

数字に意味はない。