美人で上品で優しくて教育熱心
本気で怒ると怖い
料理.茶道.華道.日舞.書道.珠算.お琴.etc.
たまに車の運転もしていた
全て嗜み気立ても良い自慢の母
親戚の叔母たちに
◯子(母)の生写しだわ
と言われるたび
ちょっと嬉しくなる
母は私が9才の時に癌になり
私が10才の時にいなくなってしまった
母の入院中寂しくて寂しくて
毎日病院にお見舞いに行った
自転車で片道20分くらいだったと思う
ある日
病床の母がまた苦しみだした
痛みで
あの辛抱強い母が叫んだ
声を出すことすら辛そうだった
絞り出し叫んだ
もういや
もうころしておねがいだからころして
目の前の母が身をよじりながら泣き叫んだ
信じられない言葉だった
今思うと あってはならない光景だった
そしてそれほどまでに理性をも失わせる病気が憎かった
急いで看護婦さんを呼びに廊下を走った
看護婦さん!お願いママを助けてあげて!!
ママがしんじゃう!早くしてお願い!
泣きながら私も無我夢中で叫んでた
それからどのくらい経過した日か忘れたけど
6月の日曜日の朝早く電話が鳴った
母が危篤
つい昨夜も父と見舞いに行き
笑顔でテレビを見ながらベッドでよる8時まで消灯近くまで談笑したばかりなのに
連想ゲーム というクイズ番組を家族で答えん考えたりみながら楽しんだばかり
父と兄と3人で車に乗り病院へ向かった
父が運転しながらなにかをずっと唱え続けていた
◯子 待ってろ
◯子 だめだしぬな
◯子 いま行くから
◯子 いかないでくれ
ちくしょう
ああ…頼む
◯子…◯子…◯子…◯子…◯子…
なに大騒ぎして…ママがしぬわけないじゃん
危篤の母の元に到着してからもなお
わたしは普通にそう思っていた
あと10日でママの37才のお誕生日だねと言ったばかり
へ……???
全く意味がわからなかった
病名は胃潰瘍だとか聞いていたような気がする
ママがいなくなるわけがない
後々で聞いた話では
体調崩して検査し癌発覚
開腹手術したが
既に原発がどこかわからないほどまで
進行し手遅れだったとのこと
ママがいなくなったことを実感する葬儀の日から私は嘔吐がとまらず
飲食をカラダが一切受け付けなくなった
幼心に
あまりのショックにきっと生きることを本能で拒絶していたのだと
大人になり自分なりに理解した
夏休みも続いたが2カ月以上学校も休み
元々普通くらいかやや細め程度だが
ガリガリに痩せ細り
家で寝たきりになり
トイレに行くにめ歩くとフラフラふわふわ
身体が宙に浮いてるようだった
目眩がしてまともに歩くこともできなかった
辛うじて飲み物を少量ずつとか父が作ったお粥と梅干しを何口かだけ口に入れ
父が心配し大学病院へ連れて行き色々検査したがどこも身体の悪いところはないといってたのは覚えてる
入院はぎりぎりしないで済んでいた状態だったのだと思う
ママも大好きだがパパっ子だったこともあり
ママがいなくなってからは
当時会社員だった父に
パパ今日は何時に帰ってくるの?
毎朝必ず3回は聞いていた
聞いていればパパが1分1秒でも早く帰って来てくれるんじゃないか
聞けば今日は私と一緒にいてくれるんじゃないかと思って
ただただずっとそばに居て欲しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて毎日毎日同じこと聞いた
わたしの体が回復してきてからは毎日欠かさず
大好きなお兄ちゃんとパパを駅まで迎えに行った
パパまだかな
パパ降りてくるかな♪
駅のホームを真下に見下ろす橋で
電車が止まるたびに言っていた
この頃の写真を見ると
笑ってない
ガリガリ
パパも必死だった
ある日わたしをいつものように抱っこすると
ママの遺影の前に立った
ママ、どうしてしんじゃったんだよ…ママ!…
パパがそのまま泣き崩れてしまった
私はパパを慰めてあげた
パパ泣かないで…それしか言えなくて情けなかった
パパと夜道を散歩したりするとお星様が見えた
パパがいつも言っていた
いいか
あそこにキラキラ光る星が見えるだろう?
あれがママだよ
ママはお星様になったからいつでも◯子(私)のそばで見守っていてくれてるからね♪
うん!
パパも我慢してるのがわかったけど嬉しかった
そのままパパと手を繋いで歩いた
娘には絶対に私と同じ思いをさせてはいけないし
絶対に同じ思いをさせまい
その一心で命をかけて私は愛情注ぎ育てた
もし
生まれ変わっても私はパパとママの子がいい

生まれ変わってもまた主人と一緒になる

生まれ変わってもまたこの子を産み育てる

生まれ変わってもまた私になりたい

愛情を一身に受け母よりずーっと長生きさせてもらってる私は世界一の幸せ者だから




