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なのに・・・
この記事は、途中から聖武天皇の偶像崇拝事業が裏目に出て、娘の井上内親王は疫病をもたらす怨霊となったこと。
そして、その後の跡取りは聖武天皇の血族者ではないことを皮肉っているにも関わらず、上手く使えられていないのです。
本当に読みづらくて申し訳ないです![]()
で![]()
題して「外八洲と内八洲の違い2」ツゥー
としまして、追記する形で今回は記事にしたいと思います。
【内八洲の叡智と外八洲の混沌】
先ず、古神道の口伝では日本は内八洲(うちやしま)で世界の雛型であると伝えられています。
そしてそれ以外の国々は「外八洲(そとやしま)」とされ、内と外を明確に区別する認識がありました。
この「八洲」の概念は信仰体系にも色濃く現れており、我々が今生きる現代の日本というよりも、かつての日本=内八洲としての在り方と外八洲の違いを、まずは明らかにしてみたいと思います。
<その①>
外八洲→悪魔や悪神を作る
内八洲→悪神を作らない
<その②>
外八洲→シンボルのような超越した存在を信仰対象とする(釈迦やイエスなど)
内八洲→祖先崇拝のため祖先が守護神であり、神の腹から生まれ神の腹に帰るとする考え。
<その③>
外八洲→外在神(超越した神の存在を見い出す)
内八洲→内在神(我を取って内なる神を見い出す)
<その④>
外八洲→人間は生まれながらに罪を持つと言う教え「人は原罪を背負って生まれ、救済を必要とする」
内八洲→人間の誕生は祝いであり、人々は過去と未來の許しを得て今を生きていると言う教え。「誕生は祝福である」
<その⑤>
外八洲→超越的存在(イエス・釈迦など)を偶像・シンボル化し崇拝する。
内八洲→目に見えない魂や霊などの不可視を顕在化させて崇拝する。
本来の日本人の生き方
日本人は「御天道様が見ている」という考えに代表されるように、見えない存在=祖先や自然神との共生を常に意識してきました。
偶像崇拝がもたらした歪みと悲劇
第45代・聖武天皇は、仏教を国家の中心に据え、偶像崇拝を国策として導入しました。
東大寺の大仏建立など、インフラ整備や疫病鎮静のための「公共事業」として発展させましたが、この政策は皮肉にも、神道の祖先崇拝とは異なる“外八洲的”な要素を日本に定着させてしまったといえます。
その結果、もっとも犠牲となったのが聖武天皇の娘・井上内親王でした。
井上内親王の怨霊と御霊信仰
井上内親王は、天武系皇統を受け継ぐ皇女として、当時11系統も隔たる血筋の白壁王(後の光仁天皇)と政略的に結ばれました。
しかし、その後策略により、皇子・他戸親王とともに廃され、幽閉され、不可解な死を遂げます。
このとき平城京を中心に疫病が流行し「井上内親王の怨霊が祟っている」と恐れられました。
井上内親王の怨霊を鎮めるために各地に御霊社が建てられ、御霊信仰が生まれました。
ただし、日本にはそれ以前から祖先の御霊を敬い祀る信仰文化(祖先崇拝)が根付いており、御霊信仰はその中でも“怨霊鎮魂”に特化した応用的な文化といえます。
これは、偶像崇拝を推し進めた父・聖武天皇の代償を、娘が一身に背負わされたという、まさに歴史の皮肉ともいえる出来事だったのです。
皇統の断絶と「血の不在」
さらに重要なのは、この時点で天武天皇の直系は完全に断絶したことです。
光仁天皇以降の天皇は「天智系」とされますが、その系譜には11代の隔たりがあり、果たしてそれが本当に「直系の血」なのかという疑問が残ります。
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後世に整えられた可能性がある:『続日本紀』などは天皇の正統性を補強するために書かれており、不都合な人物や系譜の整理が行われたと考えられています。
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特に光仁天皇以降の「桓武天皇」に至る系譜は、国家の安定のため、あえて天智天皇の系統として描かれた可能性が高い。
「天武の血」が断たれたことに対する恐怖と後悔があったことは明らかで、それを隠すために天智系を「表向き」立てた可能性があります。
この「11系統も離れた」血縁関係や、系図の信憑性については、歴史学者の間でも疑義が多く出ています。
皇統の断絶と“語られぬ女性皇族たちの不審死”
井上内親王の悲劇は、決して彼女一人に限られたものではありません。
日本史には、推古天皇や埴安姫命など、同様に不審な死を遂げた女性皇族たちの存在が確認されています。
いずれも正統な血筋を持ちつつ、政治の都合によって排除され、語られることなく歴史の影に封じられてきたのです。
その系譜と霊的影響を恐れて生まれたのが「御霊信仰」であり、それは単なる“怨霊封じ”ではなく、日本人が歴史の背後にある“正義の感覚”と“血の真実”を直感的に感じ取っていた証とも言えるのです。
「男系一系」という幻想と、日本本来の継承文化
現代では「天皇は万世一系、男系男子の継承」という観念が常識のように扱われていますが、これは明治以降の国策によって固定されたイデオロギーであり、決して古来の日本の在り方ではありません。
特に明治政府は、尊王攘夷運動を契機に「天皇制」を国家の中心に据え、西欧列強に対抗するための国民統合の象徴として、天皇の神格化とともに男系男子による継承を絶対視する体制を築きました。
明治憲法(大日本帝国憲法)や皇室典範(1889年)で男系男子継承が法制化され、それが「常識」となっていったという経緯があります。
日本では、女系継承や末子相続、地母神信仰に根ざした母系重視の風習が地域社会に深く根付いており、天皇の継承も時代によって柔軟に変遷してきたのです。
普通のご家庭でも養子縁組などあるように、家督を継承し、斎主のように一族の祖先を崇拝(供養)し、墓を守る。
このように目に見えない霊的な世界との絆を途絶えさせないようにしてきたのが、日本の継承文化とも言えるのです。

ということで、たくさん追記させて頂きました。
他の記事でも、意味の分からないところがあればリクエストOKですのでお声かけを!
PS,当ブログは女系天皇を推薦している訳ではありませんが、世論が男系男系と言う割に、ここに来て愛子様を推す風潮には違和感を感じます。
未來永光云々というのであれば、現在の皇位継承について秋篠宮家の悠仁親王が継ぐことが、それが自然の流れだと思います。

