以下にコンドリア水戸さんのポストを全文転載します。
「腎臓病の新薬についてのポストを色々見て回っている時に「猫はそこまで長生きしたいと思っていないのではないか」という意見が散見されました。
これについて私個人の考えとして、生物には生存本能があるので基本的には生き存えることに執着はすると思っています。
ただ病気などで非常に苦しい状態が続いた場合、早く楽になりたい、と思うことはあるかもしれません。猫から明確に意思確認することはできないので、これは否定はできないと思います。
なだちゃんの療養で毎週通院していた時に、待合室でよく会う年配のご夫婦からたまに話しかけられることがありました。そちらの猫ちゃんも長く腎臓病を患っていました。
奥様は「少しでも長く生きて欲しい」とおっしゃっており、ご主人は「これ以上生きたいと思ってないかもしれない。もう十分頑張ったと思う」とおっしゃっていました。
猫ちゃんはキャリーの中からじーっとご主人の顔を見ていたので「そうかもしれませんが、猫ちゃんまだお二人と一緒にいたそうに見えますね」と言ったら、仏頂面をしていたご主人の目からぽろぽろんと涙が出て「うん、それはね、俺もそうだと思うよ」と言って言葉を詰まらせていました。
猫を(もちろん他の動物でもそうですが)お迎えして共生する人間は、その絶対的守護者としてお世話に励み、その子の猫生がより良いものとなるよう様々な判断をしないといけません。
その子がどうしたいのか、どう在りたいのかを表情や仕草や雰囲気などあらゆる情報から汲み取ってその意に沿うように努めなければなりません。
それに加え、自分がその子に何をどこまでしてあげたいのか、その基準を明確にして心の整理をつけることが求められます。
その責任は大きく、常に煩悶し続けなければいけない辛さがあります。
わが家でも夫婦で話し合い、寛解の可能性がある状況ならでき得る限り最高の医療を施す、それが望めないと判断したなら少しでも苦しみを取り去り、残された時間のQOLを高めることに尽力する、など病気の種類や猫の状態に応じた様々な基準を整理しています。
猫をお迎えするということは、その子の一生の絶対的守護者になるということであり、いつか必ず来るその日に最愛のわが子を歯を食いしばって見送る責任を伴います。
誇り高き猫ちゃんと、その誇りを支える保護者の皆さまに幸多からんことを心よりお祈りいたします」
腎臓病の新薬についてのポストを色々見て回っている時に「猫はそこまで長生きしたいと思っていないのではないか」という意見が散見されました。
— コンドリア水戸 (@mitoconcon) April 25, 2026
これについて私個人の考えとして、生物には生存本能があるので基本的には生き存えることに執着はすると思っています。… pic.twitter.com/J38vbPDVO5

