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すい臓がん患者と家族のおしゃべりサロン
「ぶどうの木」の みつえ です![]()
今日は、東日本大震災から9年。
私たち被災地で暮らす者にとっては、
コロナウイルスよりも、私のすい臓がんよりも
大事な日です。
あの日、いつものように起きて、
いつものように過ごし、
いつものように出掛けました。
いつものように帰って来るはずの我が家には
誰も帰ることができませんでした。
地震が起きた時、私は会社で営業の男性と2人で
仕事をしていました。
地震が来て、強いなとは思ったけど、すぐに
落ち着くと思ったのに、全然弱まらず
それどころか一段と強くなりました。
キャビネットは全て倒れ、プリンターは移動。
電気も全て切れました。
自分の机の側にいてパソコンのモニターを
支えたり、マグカップに入った飲み物が
こぼれないか気にしていた私も、だんだんと
不安になり、2人で入り口近くの安全な場所に
移動し、床に座って落ち着くのを待ちました。
地震が止まり、コートを着て貴重品を持って
階段を降りビルの外へ。
その間も、地震があり、怖かった。
私の会社はビルの10階。
細長いビルだから、揺れる揺れる。
外から見ていた人は、隣のビルにぶつかりそうな
くらい揺れていたそうです。
とりあえず、主人と娘、実家や本社の人などに
無事を知らせるメールを送りました。
会社の人と別れ駅に向かいましたが、やっぱり
動いていないどころか、入ることも出来ません。
臨時バスでも、と思ったけど、もちろんない。
タクシーも捕まらない。
仕方ないから歩いて帰ることに。
時々雪が降ってきました。
あちこちでガラスが壊れたりしていました。
仙台の一番東にある中野栄と言う駅を通ったら
大勢の人がいました。
どうしてかなと思いながら進んだら、
お店の駐車場に水の跡。
津波の跡でした。
ここから先は水が残っていて進むことが
できませんでした。
近くの小学校で一晩を過ごし、また、歩いて
自宅に向かいました。
国道45号線を歩いて行ったら、たくさんの車が
積み重なっていました。
多賀城駅前は腰まで水があるから無理と言われて
来た道を引き返しました。
歩ける場所を探していたら警察官が立っていて、
よく見たら人が倒れていました。
こんな場所でも亡くなった方が。
結局、線路を歩くことにしました。
線路はズタズタに壊れ、いろんなものが
落ちていました。
JRの方が声をかけてくださって、道におりて
歩いて帰ることが出来ました。
自宅で主人と会うことが出来ホッとしました。
主人も街中で働いていましたが、みんなで
会社に泊まり、一緒に車で帰って来たそうです。
娘は中高一貫校に通っていたので、山の方に
学校があります。
幸い、弟が近所に住んでいたので迎えに行って
くれました。
車で弟の家に娘を迎えに行き、やっと3人が
自宅に戻ってこれたのは3月12日の夕方でした。
次の日、街中を歩いた私たちが目にしたのは
まるで映画のセットのように壊れたり、
泥だらけの街。
信じられないような景色でした。
あの頃は、早く元通りの毎日が早く戻って
きますようにって思っていました。
たくさんの応援をいただき、徐々に日常が
戻ってきました。
普通の何もない毎日が一番幸せ。
すい臓がんになり、また暗い日が。
そして、今はコロナウイルス。
暗い気持ちで歩いていたら、街で一番早く咲く
桜の木が
ピンクが目立ってきました
春は近づいてきています。
もうすぐ、あの時間。
海に向かってお祈りします。
それでは、またね。
みつえ
