ある学生が見学に来て、違和感をもったと話してくれた。


ある職員の対応を見ていて、感じたらしい。


その学生には「私は障がいのある子どもをこんなに理解して関わっているんだ」というアピールに思えたと言っていた。

「障がいのことは分からないけど、他の子どもと何が違うんだろうと思った」って。


この視点は、凄く大切やと思う。
私も気を付けていることやけど、「障がい児」の前に単なる「子ども」なんよね。


もちろん障がいがあるゆえの、特性を知っておくのはとても必要。
無知ほど怖いものはない。


でも、必要以上に「障がい」を強調しなくてもいいと思ってる。



特にここは通常に発達している子どもも来ているからこそ、障がいがあるからと言って特別扱いはしたくないと思っている。

配慮と特別扱いは違う。


子どもが子どもで居られる場所を提供出来るように、と思う。


子ども同士はとってもシビアだ。
言うことも、態度も。

見た目に分かる"障がい者"なら、子どもたちも配慮している。
というより、ある程度の距離を保っているようにも思う。

一方で、見た目に分かりにくい自閉症や発達障がいや知的障がいなどの子どもには容赦ない。
同じようになぜ出来ないのか、理解しているようで理解し合えなくて、衝突していることもある。


個人的には、お互いに遊んで、上手くいかなくてぶつかって、その人に対して深まる理解があると思うから、見守りの大切さもあると思う。

いつもいつも大人が仲裁していては、自分たちで何とかしようという気持ちは起こらないとも思う。



しょうがいって何やろ?

しょうがいって、個性?

じゃあ、「しょうがい」がない私たちは、個性がない???


個性じゃないとしたら、しょうがいって何?




私は、障がいは生きにくさ、何かをするときのやりづらさじゃないかと思う。


例えば私は、視力が低い。
視力を矯正するメガネやコンタクトがないと車の運転もままならない。

災害が起こったら、まずはメガネ探さなきゃ見えない。


これは、ひとつの障がいだと思う。
ある意味不便だから。


障がいというのは、こんな風なものなのじゃないかな。

もしかしたら、何かツールがあればカバー出来るのかもしれないし、何か環境を整えたら、楽に動けるようになるのかもしれない。


そんな風に、ハードルをクリアしていって、過ごしやすくするのは大切やと思う。



もし、環境を整えたら動けるようになるのなら、その人にとっての障がいは「環境」だったということ。


色んな視点から、角度から、見ていけるようになりたい。
その人にとっての障がいは何か。
生きにくさ、やりづらさは何か。


冷静に見ていけるようになろう。