読解シリーズ続きです。
「作者は、どんな気持ちで書いたのでしょうか」
「この作品を読んで、どう思いましたか」
そういったあやふやな「読み手の気持ち」を排除して、
とことん言葉にこだわる授業の方法があります。
春
安西冬衛
てふてふが一匹
韃靼海峡を
渡っていった
この詩を、何時間もかけて子どもたちに討論させた
向山洋一先生の授業は、教育界ではあまりにも有名です。
多くの教師が、この授業を追試しました。
もちろん、私もです。
・話者(作者ではなく、語り手)の視点
・対比
・主題
を、言葉ひとつにこだわって、とことん追求していきます。
たとえば
「話者はどこから見ていますか」
という発問。
子どもたちの考えは、
A、こちらの岸で見ている
B、てふてふのそばで見ている
C、向こう岸で見ている
に分かれます。
授業では、それぞれの意見を、根拠を持って発表させます。
根拠のない「こう思います」はNG。
記述に沿った「こう考えます」を採用します。
子どもたちは活発に討論し、この発問だけで1時間の授業は終わります。
正解は、もちろんAです。
Bは「渡っている」
Cは「渡ってくる」ですからね。
この話者の視点が重要なのです。
また、
「対比されている言葉は何ですか」
という発問。
ここで、
てふてふという小さな存在と
韃靼海峡という大きな存在の対比に気づきます。
そしてこの視点と対比が、作品の主題へと繋がっていきます。
私が教員1年目でこの授業を行った時、討論が盛り上がって
「先生、休み時間もやりたい!」という子が続出。
最後に評論文(感想文ではない)を書かせたところ、
最低でも原稿用紙3枚、最高は10枚以上書く子までいました。
これが、1年目の下手くそな教師でもできる「教材と発問の力」です。
ちなみに
てふてふは「ちょうちょう」
韃靼海峡は「だったんかいきょう」と読み、架空の地名です![]()
このような授業法を、分析批評といいます。
実は、大学のゼミの教授がこの分析批評の提唱者だったのです。
ですので、学生時代から徹底的に
「国語の授業は道徳ではない!」
「国語で感動を押しつけてはならない!」
「言葉を追求しろ!」
とたたき込まれました。
「分析批評は心がない」というような批判もあります。
ただ、きちんと読解した上でないと感動すら生まれない、と私は思っています。
「春」の授業の最後に、こんな発問をすることもあります。
「作者は幸福だったか、不幸だったか」
これは完全に読み手のイメージなので、正解はありません。
しかし、言葉を深く分析した後には深い感動が生まれます。
正確に読めていないと、こんな的外れな感動になることも・・・
「『たぬきの糸車』」は、いいお話だよね~」
「うん、たぬきの切ない恋心がたまんないよね
」
「えっ!?」
「やっとのことでおかみさんに想いがつたわって、胸キュン
」
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この「春」の授業は高学年向きですが、1年生でもできる分析批評があります。
続きます。
