おはようございます
北陸地方は梅雨明けしたようですね。
関西は、”明けたんじゃない?” と思いきや、まだだったようです(*_*)
今日は”他人の目が気になって仕方ない” 状態について書いてみようと思います。
「他人の目が気になる」とは、他人が自分を評価することが前提になってる状態です。
言い換えると、自分を評価するのは他人であって、他人が自分の価値を決める と思っている状態のことです。
わたしの記憶を遡ること30+〇年前、一人っ子のわたしは家庭内で比較対象になる年相応の存在がないため、家族は、近所や学校の子どもたちを対象に比べては「〇〇ちゃんは帰ったらすぐに宿題を済ませて、それから遊びに出るんやて。あんたはどうよ!玄関にランドセル放り出して遊びに出たっきり夕飯まで帰ってけーへんし、宿題もせん!そんなんで大きいなったら困るで!知らんで!」 毎日定番の演目(笑)
机に座って勉強する楽しさを知らないからやらないだけなんですけどね。なんせ勉強なんか大っ嫌いでした。加えて同級生の女の子もソリが合わない子が多く、外で男の子や自分の言うことを聞いてくれる小さい子と日暮れまで遊ぶのが日課でした。これについても家族は”なんであの子は同級生の女の子や年上の子たちと遊ばないんだろう…”
ま、たまにはそんな子たちとも遊んでましたけど、偏ってるように見えて心配だったんでしょうね。なんせあらゆることが心配で仕方がないの。親ってもんはね。
こうして、毎日毎日 他人と比べてここがこんなに劣っているんだ。と刷り込み続けられる。
親が ” 他人の借りもの作りものでこしらえたニセモノの目線で評価している ” なんてことを本心では気づいていても子どもは言葉に変換して上手く伝えられません。せいぜい ただ、悲しいような寂しいような、複雑な感情を抱くだけ。それどころか、親の言い方によっては親をがっかりさせる自分を責めるようになります。
こんなことがありました。
小学校6年生のとき修学旅行に行くでしょ。で、修学旅行記ってものを全員書かなきゃいけなかったんですよ。 でも私、途中までしか書けなかったんです。楽しぃっていえば楽しかったけど、なんせ集団行動が嫌いでしんどかったので、書きたくなるようなことがないの。だから、みんな達成感いっぱいで楽しく提出してたけど、わたしは知ら~ん顔して提出しませんでした。
たぶん、そんな生徒はわたし一人だったんじゃないかなぁ。 当時は親にも絶対内緒!先生にいつ呼び出されるか…友達が知ったら何を言われるか、それ考えると夜も震えて眠れないので、考えないことにしてました(笑) 日中、ふっとよぎると怖いから走ってグランドへ出て友達と遊んだり、とにかく気を逸らす。
そしたらね、卒業するまで一度も 旅行記未提出のことで呼び出されなかったの。
ついに、逃げ切った。 しかも成績も旅行前後で変化なかった。
先生も態度に変化なし。そのことに触れもしない(これはこれで、どうだったのか聞いてみたい気はしましたが)。
この経験は後に私の中で、結構大きな意味を持つことになります。
色んな方向からこのことを見て考えてみることで気づくことがあるんです。
過去を振り返って嫌な思いを何度も追体験するのってあまり意味ないと思うけど、だってその嫌な感情に餌与えて強化してるだけだから。
でも、色んな角度 たとえば先生目線で今の私だったら…とか、親の目線でとか、今の自分に置き換えて部下が仕出かしたことをどう見るか、とか おもしろいし、ハッとすることがあります。
小学校に入学する頃には既に、子ども自身が自分の中に制限枠を持っています。個人差はもちろんあるでしょうが、現在は母親も仕事を持っているため、保育園など家庭以外の社会生活を経験し出すとより一層強くなります。
親以外にも、自分を評価する人間がたくさんいることを身を持って知るから。
その人たちから ”ペケ” を付けられるのは、よくないこと。と刷り込まれてるからですね。
仕方ないんですよ。社会生活で困ることがないようにって、しつけや子育てをされるなかで身につくことなので。
親自身も世間の常識の中で何とかバランスを保って生きてる。
それを難しいことだと捉えているほど、この制限枠を何度も何度も上塗りするため、壁がより強固になり、そんなの簡単で気に留めてもいない人は 何か起こった時に楽に制限枠を飛び越えて行きます。 ” あ、そんなやり方があるんだ、こう考えればいけるんじゃない ” と自分の今までのやり方を変えることに抵抗を感じません。
常識や枠組みが確かにある。と思う人にはあり、そんなの単に円滑な集団生活など ある目的のための制限でしかない。と思う人にはない。
家庭にはじまり、学校、会社、各種団体(国、自治体、教育、宗教etc)など、組織はすべて、 ある方向性と価値観のもとに枠組みを持っています。そこに属する人の思いです。
いくら言葉で紙面やデータに表記して残しても訓示として打ち立てても、所詮はその場でしか通用しない代物です。
組織が大きいほど、属する人数が多いほどルールは多くなり、それを破ったときに課されるペナルティが重いと、より制限枠のキツい環境を選ぶことになる。それも本人の選択。属しているならルールは知っておかなきゃ…ですけどね。
わたし自身は、その程度にしか思わなくなりました。
組織ってものは、表向きは”自主性を大事に”と謳いますが、根本は逆で、まとめやすいよう言うことを聞かせやすいようコントロールする方向性です。でも、そうじゃないと成り立たない。どちらかある一方だけでやっていくって無理なんです。
目線を戻して…自分もそう。 同じ相手を許せる と思う自分もいれば、違う一面を見て許せない と思う自分もいる。
一本の棒を持ち、一方の端を上に立てようとすれば、もう一方は下で支えることになる。
あげるとキリがないですけど、二輪車は片輪だけじゃ走らない。一輪車に乗ろうとしたらバランスとって中心に乗らないとね。
積み重ねて成長する喜びを最良だと考える人、繰り返し変化することで成長していくと考える人… みんな自ずと分けて自分の価値観で選択し、人生を歩んでいます。
一人一人が、それぞれの目的のために生きている。見る人の方向によって違って見える。ただそれだけ。
みんな違うの。 あなたはあなたの理由があり わたしはわたしの理由があって生きてるから。
同じ土俵に立ってるように見えるのは、国や地方や会社や学校や家庭という環境に身を置いて、その価値観を定規にして生きることに慣れきっているから。
自分じゃないものの価値観に従って、比べたければ比べればいい。 だけのこと。
うまく利用すれば成長促進になるし。
属してる組織に従う契約時間は、その価値判断に沿って、利益なり評価なりを上げることが義務であり仕事。
でも、終了したら、ぱーっと飲みに行くなり 趣味に没頭するなり 家族と出かけるなり、その枠組みから心を解放すればいいの。
こうして、自ら属した制限枠をゆるめて 開放感を味わうことが、ものすっごく大事。
開放感を味わってるときって、ほら
他人のことなんて気にならないあなたがいるでしょ( ´艸`)
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