「寄宿舎 ~悲しみの天使~」
1964年制作のフランス映画
監督: ジャン・トラノワ
萩尾望都先生の名作「トーマの心臓」の
元ネタとなった映画だそうです
五年前、初めて「ポーの一族」を読み記事を書いていた時
この映画の存在を知りました。
観てみたいなと思いました。
ですが「ポーの一族」は長編です
漫画を読んでストーリーを把握するだけでも大変なのに
映画の話にまで風呂敷広げてしまったら、
収取つかなくなりそうだなと断念しました。
そして何よりDVDがびっくりする位に高価だったんです。
2万円位したのかな。
今はBlu-ray化されているようです。
良い時代になりました。
「ポーの一族」を初めて読んだとき
この作品を豊かな感性を持った若い頃に読めたら
どんなに良かったろうと思いました。
だけもオバチャン読者ならではの楽しみ方というのもあるのです。
初めに原型となった映画を鑑賞し
その後で「トーマの心臓」(もちろん未読)を読む!
多くの方は漫画を読んで
元ネタの映画を観ると思うのです。
だけど私は逆。
つまり私は天才と言われた作家さんと
同じスタートラインで映画を鑑賞し
それがどんな風に漫画としてかわっていくのか
その変化を間髪入れずに感じ取ることができるのです
これはたのしみです
以下「寄宿舎」あらすじです
※ 映画の最後までネタバレしていますのでご注意下さい
舞台はフランスの神学校
主人公のジョルジュ(フランシス・ラコンブラード)は侯爵家の坊ちゃまです。
15歳になり厳格なミッション系の寄宿舎に転校生としてやってきました。
地位があって、財力があって、成績も良くて、しかも美形
ウニやらカニやらイクラやらてんこ盛りされた
豪華な海鮮丼みたいな主人公のスペック
そして、これを見てる皆んなに特別サービスと言わんばかりに
憂いを持ったの転校生というシチュ
まるで「ポーの一族」の小鳥の巣のような設定じゃありませんか
これは、事件の香りプンプンだ~
もう わかったぞ!
殺人事件の犯人はコイツだ
(↑ 私は勝手にミステリ小説みたいな話だと思っていた)

現在はどうかはわかりませんが、
神学校というところは良家の子息といえども部屋は大部屋
プライバシーなんてありません。
野戦病院のようにベッドがずらりと並び
見回りのに神父さまの目は常に光っています。
家族から引き離され、心の支えとなったのが親しい友との語らい。
一部の生徒は、意中の生徒にこっそり手紙を渡したり
運動中にケガをすれば、一番大切な友達の血は
自分のハンカチでぬぐいたいとか
他愛のないものですが、潔癖症で品行方正な主人公は
それが気にくわない。
如才なく、神父様に密告します。
キリスト教では同性愛を禁止してますので
こういった「特別な友情」は処罰の対象となるのです。
そんなジョルジュの前に現れたのが
下級生のアレクサンドル君12歳(ディディエ・オードパン)
とても可愛らしくて男の子というより、
性別超えた宗教画に出てくる天使みたいな可憐なコなんですよ。
天使が子羊抱えて教会にやってきます。
天使が目の前に現れたら、ほわぁわぁ~ってなりますよね。
主人公、目の肥えた美意識高そうな貴族の坊ちゃんですし
あっという間に魅了されてしまいます。
アレクサンドル君にしたって、規律の厳しい神学校で
年上の上級生が子ども扱いすることなく、優しくしてくれたら
嬉しくなりますよ。
特に大人になる前の少年少女たちというのは
心も身体も大きく変わり始めますし、そんな時期にピンポイントで
自分がいちばん知りたいと思う答えを投げかけてくれる人って
年上の同性の人間だったりするんですよね。
ですからアラクサルンドル君、ジョルジュ君を崇拝しちゃうんです。
見てくださいよこの愛くるしい笑顔
二人は仲良くピアノを連弾したり
因みに演奏しているのはバッハのインヴェンションの13番♪
(こういう場面、他の映画でも観たことあるぞ)
誰もいない温室で秘密を語り合ったり
(温室は「ポーの一族」にも登場してたのでおお!となった)
プラトニックに仲をはぐくみ、最後は任侠映画なんかに登場する
決して離れることのない義兄弟の契りをするかのように
血の契約をかわすのですが
お察しの通り神父様にバレてしまいます。
主人公は策略家なんで若手の神父は
上手いことトラップかけて解雇させるのですが
ちょっと偉い神父はそうはいきませんでした。
神父様は二人に諭すわけですよ
神様の前で二人の関係は特別なものではないと
誓うというのであれば大目にみてやってもいい
つーか お前ら別れろ
絶体絶命のピンチです。
策士ジョルジュ君、先を読んで言葉巧みに神父をかわし
虎視眈々と次の手を考えていました。
年下のアレクサンドル君はそうじゃなかった。
ただひたすら、ジョルジュのことが大好きで健気に相手を慕うんですよ。
幼さと相まってそのいじらしさったらもう![]()
こうして彼は、家族の元へ向かう列車の中
ジョルジュのことを思い続け、想いが綴られた手紙は紙吹雪となり

最後は自身が列車から飛び降り命を絶ち
後に残された青年の苦悩と哀しみと
そして真実の愛を見出した青年のモノローグで
この映画は終わります。
主人公の感情は家族から引き離された寂しさから求めた愛だったのか
疑似恋愛だったのか、それはこの映画を観た私にはわかりませんでした。
その感情が何なのかそれは当人にしかきっとわからないでしょう。
わからないからこそ作品に影響された作家たちが
次々と名作を生みだしたのだと思います。
礼拝堂の棺の前で、主人公は思うんですね
ぼくらの友情を人は愛というんだ。
愛ってなんなのでしょうね
映画の感想です。
私のお粗末な同性愛的な知識
(誤解のないように申し上げておきますが
この作品はそういう類のものではありません)
を総動員してパッと頭に浮かんだのが
以前ブログでも紹介した
『君の名前で僕を呼んで』というという映画です。
とても丁寧に心理描写が綴られた作品だったと記憶しています。
そしてこの作品を通して
年上の男と年下の男の間に起こる愛といものは
古代ギリシャでは崇高なものとして捉えられてた知識を得たんですね。
どうも私はBL特有の萌えセンサーが
人より感度が悪いようで理屈から入ってしまうのが
申し訳ないのですが
正直、男性同士で行ってしまう行為はワタクシ今でも
抵抗あり、出来れば避けて通りたいところですが
それを差し引いても有無を言わせぬ説得力があり
古代ギリシア。
なんか意味わからないけど
男同士、きっとアリだわ
だって私みたいな疎い女でも
琴線触れるものがあったんだもの
ですからこの「寄宿舎」を拝見した時
私は頭の中で思ったんですよ。
この作品は理屈で考えちゃいけないんだ
古代ギリシアの価値観で考えなくちゃいけないんだ
なんでこんな小さなコが命を粗末にするんだよ
このコなりの愛かもしれないけど、それにしてもなんて愚かなの
ってもちろん考えました
いやいや、まてまて
大事なポイントだけど、すごく気になってしまうのだけど
着目するのはそこじゃない。
神学校とか抜きで、こんな小さなお子様に特別な特別な感情を持つなんて
倫理的にどうなのさと
気にはなるけど、直目するのはきっとそこじゃない。
これは文学として考えよう。
それからもう一つキーワードとなるのが
キリスト教ですね。
古代ギリシアでは究極の愛の形だと言われたという
男性同士の愛が、キリスト教の世界では迫害の対象となってしまう。
そういう映画もあったよなぁ
「寄宿舎」ではそのあたりをフォーカスして私は鑑賞しましたが
この作品をご覧になった萩尾望都先生はどうお感じになったのでしょうか。
きっと「トーマの心臓」は先生ご自身が考える愛の形を
作品で表現しているのだろうと推察致しましたが
果たして私の頭で、どこまで理解できるのか
理屈でなく感性でスーッと入ってきたくれたらちょっと嬉しいのですが。
さてどうなることやらです。






