12月。
みなみ地方のスーパーのBGMはクリスマスソング。
入り口にはお正月用のしめ縄飾りや鏡餅と
クリスマスに飲む子供用の炭酸飲料が仲よく並んでいる。
私は仏教徒ということでお寺の方の法話をきくことがあるが
クリスマスは鳥とケーキを食べてお祝いするし
気が向いたときは、近くの神社の前で手を合わたりする。
さんざんお世話になっているはずなのに
実は私、神様という存在を信じていない。
「神頼み」という言葉があまり好きではなく、
全ては自分自身の力が足りないのだという認識を持つようにしている。
うまくいけば、神様にお願いをしたから
うまくいかなかったら、神様へのお願いが足りなかったら
こういうとらえ方が
なんか違うなぁと思ったんですよね
で、こんな宗教観がゼロに等しい私であるが
大いなる自然の営みには敬意をあらわす。
お日様のの光や、雨風や波の音。
毎年繰り返して咲く花たち
そして手をさしだすとそっと握り返してくる
人間の小さな手。
自然の摂理の前で人間があらがうことは
できやしない・・
そんなことを強く感じるようになってきた。
そもそも、摂理という言葉はキリスト教から派生したんでしたっけ
語彙力がなくて、上手な表現ができないのだけど
大いなる自然の法則のなか、
人の人生というのまた、そういう自然の摂理の中に
形成されていて
日常の何気ない自然の風景を目にして
自分の気持ちが、何故かわからないけど大きく震えた時
自分の全てをゆだねてしまいたい。
そんな気持ちになるのだ。
自然への畏怖
そして生を受けたことへの感謝を思った時
私はその中は自分をどうやって順応させ
生きていかなきゃいけないのだろうと考える。
これを読まれた方は
それについて書かれた本が聖書なのよとか
仏教ではこれをこういうとか、神道ではこれをとか
きっとおっしゃりたいことがいろいろとあるのだろうが
今は静かに自分の中に湧き上がってきた気持ちを
大切にしたいと思う。
なので今回はコメント欄閉じますね。
(コメントの返事うまく書ける自信がないんです。)
さてさて、こんな難しい話はおいておきまして
世はフツーにクリスマス。
引き出しの整理をしていたらこんなものがでてきました。
その昔、クリスチャンの人から
これあげるぅ~ といきなり手渡されました。
何故私に手渡してきたかは全く不明 笑
いかにもありがちな、ありがたい聖書のお話を
長々とされることもなく、スピリチュアルな話もなく
本当に突然日常の延長の出来事だった。
私も わぁ~きれい
いいの? もらっちゃって
いいの いいの
貴女にあげる
わぁ ありがとうございます
(会話終了^^)
小さなチャームと一緒にラファエロの聖母子像の
絵がかかれていた栞がついていて、
とてもきれいな栞だったので、私はそのとき
お気に入りだった本の間にはさんだのだ筈なのだけど・・
栞は紛失。
本じゃなくて、楽譜の間にはさんだのかなぁ
結局聖母子像の栞はみずからず、
オマケでついていた小さなチャームだけが手元に残った。
その後その人は病気のため帰らぬ人となり
チャームはその人の形見になってしまった。
受胎告知。
性交渉もしていないのに、マリア様が
イエスを身ごもるこのエピソードは
神話性が強く、これは解釈の世界のお話なのだろうか。
私は好きな作曲家がたまたまバッハということもあり
曲を知る上でも、一度勉強してみたいなと思うのですが
受胎告知をはじめとして、聖書というのは私にとっては
まだまだ謎が多い。
そしてとても神秘的。
反面は私は、お寺の法話になるほどなぁと頷く。
自分は仏教に傾倒しているのかなと思いつつ
賛美歌を聴き
日本の神道も神話だなぁなんてことを考える。
そうなると、今度はギリシア神話の話に気持ちがとぶ。
何やってるんだかな^^
それでなくても12月というのは忙しいのに
人は生きるために学ぶという。
それじゃ宗教って一体ナンなのか?
何かを拝む。
何かを祈る。
祈ることで、救われることはある。
実際私もそうだった。
(無宗教だけど^^)
世の中たくさんの宗教がある。
でも、この問題を極限までつきつめていくと
宗教ということすらも、そう意味をもたないのではないだろうか。
(極論すぎるかな)
人の人生というものは
良いときもあるし、悪いときもある。
それはどの人にでもそうで、常に大きな波が
うねっていくようにすすんでいく。
そんな大きな波の中で私達は生活をし、
仕事をし子供を育てる。
これもまた自然の摂理か。
やるべきことは一杯で、迷うことはたくさんがるが
自分にできることは何かを考えたとき
今自分がどこに立っているかそれを見定めること。
悪い流れがあれば下手に動かない。
こんな見極めも大事なのではないかと思う。
そして人の人生には、その時その時に出会う
縁というものがあり、そうした出会いが
また新たな波をつくりだしてくる。
今こうやって私が感じた事柄も
ドコドコの神様はこれを、こんな風にいってたよー
と言われてしまいそうなのだが
今日のところは黙って聞き流していただきたい。
できる事なら
大きな視野でみることのできる人間でありたい。
大局観?
これは仏教用語??
(もうわけわからん 笑)
え~ バッハです。
バッハのアリオーソです。
原曲はチェンバロ協奏曲(BWV.1056)の
第二楽章らしいですね。
人生に迷ったときはやっぱりこの人がいちばん ![]()
![]()
この曲、最近有線かなにかで耳にして
これまでずーっとモヤモヤしていくのがほぐれていくようなぁ
なんてことを考えながら聞き入りました。
この曲もまた宗教絡みなのかなぁと調べてみたらドンピシャリ!
バッハのアリオーソの元ネタは
カンタータ第146番『われら多くの苦難を経て』
ということがわかりました。
タイトルがもうね~![]()
元々そういう内容の曲だったんですね
ある一定の昭和世代のみなさまには
こっちの曲の方が馴染み深いかな
ダバダ~ ダバダ ダバダ~![]()
映画『恋するガリア』のテーマ曲です
歌っているクリスティーヌという名前の女性は
ミッシェル・ルグランのお姉さまだったんですね~
おーっと 宗教の話から脱線だ。
長くなりまたので、これで終わりにします ![]()


