親が年老いて行く事は自然なこと。
私たちも いずれ 父や母と同じ道をたどるのです。
親は 自分たちの年老いた姿を見せて
子に教えているのかもしれません。
今だけ良ければいいという生き方はいけないよ と。
義父の入院から始まった 夫の両親の介護生活。
もともと自信過剰であった義父は
倒れてからも 自分の意のままにならなければ
怒鳴り散らすような人でした。
こう書くと とても悪い人に思えそうだけど
まじめ一筋で生きてきた昭和一桁です。
大黒柱としての自負もあったでしょうし
家族を支えていくのは自分だというプライドもあったでしょう。
確かに倒れる直前までは
かくしゃくとしていた義父でしたし
義母も夫も
「お父さんがいうことは 誰も逆らえない」という家風の中
自信満々でいたと思います。
ところが 予想だにしていなかった入院。
義父もでしょうが 義母にしてみても
まさに青天の霹靂。
なにせ ずっと義父に頼りきりだった義母は
お父さんがいなければ 夜も日も明けないという状態であったため
生まれて初めての一人暮らしは
それはそれは 精神的に厳しかったと思います。
「ようやく慣れたわよ」と 言いつつも
義父が帰ってこない家は とてつもなく広く感じたのではないかしら。
梅雨前に退院する目処がたったものの
退院後はリハビリ専門の病院へ転院するという話を
ことごとく却下してしまった義父。
どうしても家に帰るのだと
それはそれは ものすごいごり押しで退院を決めてしまいました。
けれど 家にいるのは 同じように年老いた義母だけ。
私たちは 一緒に暮らしていない。
だから 退院しても しっかりリハビリには通うことと
診察はきちっと受けること
デイサービスとヘルパーを利用することを約束させていました。
しかし・・・・
退院すれば もう自分の天下です。
デイサービスもリハビリも 勝手に辞めてしまい
ヘルパーさんも勝手に断ってしまいました。
診察だけはかろうじて受けてくれてはいても
リハビリをしない義父の体は
去年と同じようには動かない。
それでも 自宅での生活リハビリが一番いいのだという頑固な義父。
それに対して
「お父さんは 一度言い出したら聞かないから」という義母と夫。
そうでしょうね。
たぶん 今まではそれで良かった。
でも ことリハビリは違います。
専門の指導を受けながらリハビリをしなければ
どういうことになるか。
私はひとり
義父と大喧嘩までしてリハビリをするように言いました。
何度も 何度も
「出て行け!」と言われても 私は引きませんでした。
本当は・・・・
義母と夫が 説得するべきところのはずですが
長年の「お父さんはこうだから」という気持ちがあるためか
私が何を言っても 義父に進言してもらえることはありませんでした。
私が懸念したのは 老々介護による事故です。
義父も義母も 自分たちが年老いているという認識はあるものの
まだまだ 動けると過信していました。
でも・・・私は知っています。
その過信がどういう事故に繋がるのかを。
そして案の定。
夏のある日 義父はサークルも使わず 一人で歩き始め
尻餅をつき 自分の身体を支えることも出来ないまま転倒。
そして頭部を強打し 脳内出血を起こしました。
私が一番心配していた事故が とうとう起こってしまった・・・。
出血した場所が 幸いにも 即時 命に関わる場所ではなかったため
一命は取り留めましたが
古い記憶だけが残る状態になり
新しい記憶が 積まれることはなくなりました。
2度による義父の入院のショックと
それまでの介護疲れにより
義母の様子が どんどん変わっていきました。
アルツハイマーを発症したのです。
アルツハイマーだと診断されたのは
ほんの一週間前のことでした。
それまで通っていた脳神経外科では
CTを撮っても脳の萎縮が見られないため
「脳みそは元気だ どこにも異常はない」と 診断していました。
義母も 医師のその言葉に喜び
私も ほっと安心していたのですが・・・・
では この義母の様子はなぜ?
どうみても 認知症の初期と思われるのに・・・・?
もしかしたら 心の病かも知れないと
夫に心療内科へ義母を連れて行って貰いました。
「今ここで出せるお薬はありますが
もう一度 詳しく脳の検査をしたほうがいいです。
CTでは見つけられない認知症もありますから」
紹介状を書いてもらった病院の予約を取り
一番早い予約日に義母を病院に連れて行きました。
そこで 初めて
「アルツハイマーの初期です」と診断してくれたのです。
脳神経外科の診断は 間違いだった!
アルツハイマーだとわかったのは
あの心療内科の先生のおかげ・・・。
でなければ うつ病と勘違いして
手立てが遅れた可能性もあります。
本当に・・・・タイミングが良かった!
しかし 義母には アルツハイマーであることを告げられても
理解できていませんでした。
「脳神経外科の先生は 脳は元気だと言っていた」
それをかたくなに信じているのです。
けれども 私にはやらなくてはならないことがあります。
ケアマネさんに義母の介護区分変更をすることと
今後の義母の生活のことでした。
幸いにして 義父は 退院してからの入所先がやっと決まり
出来ればそこに義母も一緒に入居してもらいたいのですが
義母は 頑として
「家にいる」と 言います。
義父が戻ってくるまで 家を守るのは自分の役目。
そう信じているのです。
義父は もう 戻ってこない。
何度かそう伝えても その部分は忘れてしまうようです。
なので
いつかお義父さんが戻ってくるときには
お義母さんも一緒に戻ればいいよ
そう言ったのですが
家を守ることのみならず あの土地を離れて生活すること自体が
義母にとっては とても嫌なことだったのです。
その気持ちは とてもよくわかります。
家を守り 近所のお友達と過ごし 親戚も遊びにくる環境を
年老いた義母に変化を求めるのは 酷というもの・・・。
けれど いつまでも独居のままでいては
義母の身体が心配なのです。
食事の管理も出来なくなり 薬も飲まなくなりました。
高血圧なのだから 水分をとらなきゃだめですよと言っても
「サイダーなら飲みたい。お茶は嫌い」
日々 お菓子やジュースだけで過ごす義母。
ヘルパーさんを入れてはいるものの
他人が家に入るのを嫌い ヘルパーさんが来ると気持ちが悪くなる。
デイサービスに行くのも嫌で
施設に行っても 誰とも交流を持たず
静養室で寝ているばかりの義母。
私たちとの同居も拒み
施設への入居も拒む。
どうしたら この先 義母が安心して暮らしていけるのか
本当に途方にくれています。
それでも 私たちがやるべきことは まだ残っている。
親の都合と気持ちと健康との兼ね合いは難しいけれど
それでも 進んで行かなくてはならないね。
☆
私たちも いずれ 父や母と同じ道をたどるのです。
親は 自分たちの年老いた姿を見せて
子に教えているのかもしれません。
今だけ良ければいいという生き方はいけないよ と。
義父の入院から始まった 夫の両親の介護生活。
もともと自信過剰であった義父は
倒れてからも 自分の意のままにならなければ
怒鳴り散らすような人でした。
こう書くと とても悪い人に思えそうだけど
まじめ一筋で生きてきた昭和一桁です。
大黒柱としての自負もあったでしょうし
家族を支えていくのは自分だというプライドもあったでしょう。
確かに倒れる直前までは
かくしゃくとしていた義父でしたし
義母も夫も
「お父さんがいうことは 誰も逆らえない」という家風の中
自信満々でいたと思います。
ところが 予想だにしていなかった入院。
義父もでしょうが 義母にしてみても
まさに青天の霹靂。
なにせ ずっと義父に頼りきりだった義母は
お父さんがいなければ 夜も日も明けないという状態であったため
生まれて初めての一人暮らしは
それはそれは 精神的に厳しかったと思います。
「ようやく慣れたわよ」と 言いつつも
義父が帰ってこない家は とてつもなく広く感じたのではないかしら。
梅雨前に退院する目処がたったものの
退院後はリハビリ専門の病院へ転院するという話を
ことごとく却下してしまった義父。
どうしても家に帰るのだと
それはそれは ものすごいごり押しで退院を決めてしまいました。
けれど 家にいるのは 同じように年老いた義母だけ。
私たちは 一緒に暮らしていない。
だから 退院しても しっかりリハビリには通うことと
診察はきちっと受けること
デイサービスとヘルパーを利用することを約束させていました。
しかし・・・・
退院すれば もう自分の天下です。
デイサービスもリハビリも 勝手に辞めてしまい
ヘルパーさんも勝手に断ってしまいました。
診察だけはかろうじて受けてくれてはいても
リハビリをしない義父の体は
去年と同じようには動かない。
それでも 自宅での生活リハビリが一番いいのだという頑固な義父。
それに対して
「お父さんは 一度言い出したら聞かないから」という義母と夫。
そうでしょうね。
たぶん 今まではそれで良かった。
でも ことリハビリは違います。
専門の指導を受けながらリハビリをしなければ
どういうことになるか。
私はひとり
義父と大喧嘩までしてリハビリをするように言いました。
何度も 何度も
「出て行け!」と言われても 私は引きませんでした。
本当は・・・・
義母と夫が 説得するべきところのはずですが
長年の「お父さんはこうだから」という気持ちがあるためか
私が何を言っても 義父に進言してもらえることはありませんでした。
私が懸念したのは 老々介護による事故です。
義父も義母も 自分たちが年老いているという認識はあるものの
まだまだ 動けると過信していました。
でも・・・私は知っています。
その過信がどういう事故に繋がるのかを。
そして案の定。
夏のある日 義父はサークルも使わず 一人で歩き始め
尻餅をつき 自分の身体を支えることも出来ないまま転倒。
そして頭部を強打し 脳内出血を起こしました。
私が一番心配していた事故が とうとう起こってしまった・・・。
出血した場所が 幸いにも 即時 命に関わる場所ではなかったため
一命は取り留めましたが
古い記憶だけが残る状態になり
新しい記憶が 積まれることはなくなりました。
2度による義父の入院のショックと
それまでの介護疲れにより
義母の様子が どんどん変わっていきました。
アルツハイマーを発症したのです。
アルツハイマーだと診断されたのは
ほんの一週間前のことでした。
それまで通っていた脳神経外科では
CTを撮っても脳の萎縮が見られないため
「脳みそは元気だ どこにも異常はない」と 診断していました。
義母も 医師のその言葉に喜び
私も ほっと安心していたのですが・・・・
では この義母の様子はなぜ?
どうみても 認知症の初期と思われるのに・・・・?
もしかしたら 心の病かも知れないと
夫に心療内科へ義母を連れて行って貰いました。
「今ここで出せるお薬はありますが
もう一度 詳しく脳の検査をしたほうがいいです。
CTでは見つけられない認知症もありますから」
紹介状を書いてもらった病院の予約を取り
一番早い予約日に義母を病院に連れて行きました。
そこで 初めて
「アルツハイマーの初期です」と診断してくれたのです。
脳神経外科の診断は 間違いだった!
アルツハイマーだとわかったのは
あの心療内科の先生のおかげ・・・。
でなければ うつ病と勘違いして
手立てが遅れた可能性もあります。
本当に・・・・タイミングが良かった!
しかし 義母には アルツハイマーであることを告げられても
理解できていませんでした。
「脳神経外科の先生は 脳は元気だと言っていた」
それをかたくなに信じているのです。
けれども 私にはやらなくてはならないことがあります。
ケアマネさんに義母の介護区分変更をすることと
今後の義母の生活のことでした。
幸いにして 義父は 退院してからの入所先がやっと決まり
出来ればそこに義母も一緒に入居してもらいたいのですが
義母は 頑として
「家にいる」と 言います。
義父が戻ってくるまで 家を守るのは自分の役目。
そう信じているのです。
義父は もう 戻ってこない。
何度かそう伝えても その部分は忘れてしまうようです。
なので
いつかお義父さんが戻ってくるときには
お義母さんも一緒に戻ればいいよ
そう言ったのですが
家を守ることのみならず あの土地を離れて生活すること自体が
義母にとっては とても嫌なことだったのです。
その気持ちは とてもよくわかります。
家を守り 近所のお友達と過ごし 親戚も遊びにくる環境を
年老いた義母に変化を求めるのは 酷というもの・・・。
けれど いつまでも独居のままでいては
義母の身体が心配なのです。
食事の管理も出来なくなり 薬も飲まなくなりました。
高血圧なのだから 水分をとらなきゃだめですよと言っても
「サイダーなら飲みたい。お茶は嫌い」
日々 お菓子やジュースだけで過ごす義母。
ヘルパーさんを入れてはいるものの
他人が家に入るのを嫌い ヘルパーさんが来ると気持ちが悪くなる。
デイサービスに行くのも嫌で
施設に行っても 誰とも交流を持たず
静養室で寝ているばかりの義母。
私たちとの同居も拒み
施設への入居も拒む。
どうしたら この先 義母が安心して暮らしていけるのか
本当に途方にくれています。
それでも 私たちがやるべきことは まだ残っている。
親の都合と気持ちと健康との兼ね合いは難しいけれど
それでも 進んで行かなくてはならないね。
☆