人は変化するもの



「自分」という存在は「ずっと同じ」と思いがちだけど



細胞レベルで見ると、1年前とはほとんど入れ替わっているらしい



使命を発掘するスピリチュアルカウンセラー

ライトワーカー おかざきみずえ です

 

 

なんていうか、戦後の高度成長期に頑張った世代に育てられると



「頑張らなくてはならない」


「一度始めたことは、続けなければならない」


「諦めたり、途中でやめたりすることは、悪いこと」


「自分を犠牲にしてでも世のため人のために尽くさなければならない」etc



そんな価値観を、知らず知らずのうちに、植え付けられている



親世代、その当時の人たちにとっては大切な価値観かもしれないけど



地球がアセンションを決めて、どんどん次元を上げている今、その価値観は逆に足かせになる



私も「本来の自分を取り戻す」と決めてから、無意識のうちに自分が握りしめている制限や価値観を手放したり、統合したりしてきたけど



どこかにまだそのカケラが残っているように感じる今日この頃



これまでも違った、新しいことを始めようとするとき



何かにチャレンジしようとするとき



どこかに、二の足を踏む私が居る



もちろん、人間だもの



未知の世界の扉を開けるときは「怖い」がつきもの



それは分かっているから「怖いはGO!」で「エイヤーッ!」と行動はするんだけど



どこかに制限をかけている自分を発見する






長年、握りしめてきたものを「0(ゼロ)」にすることは難しいし、する必要も無い



その「カケラ」や「残像」を握りしめたまま、行動あるのみ、なのだ



私たち世代(アラフィフ、アラカン)は、ホントに、すごい変化の時代、過渡期を選んで生まれてきている



戦後の高度成長期を支えた人たちや、団塊の世代を親に持ち、その世代の人たちの価値観を擦り込まれて育った



自分を押し殺して、世のため、人のため、家族のために身を粉にして働く



自己犠牲も我慢も美徳の世代



そして、彼らのおかげで経済的には豊かになったけど「モノ金見た目至上主義」「競争社会」の世の中に振り回される



親の価値観の受け売りで、何となく惰性で生きてきたけれど



いつの間にか「いい学校を出て、いいところに就職して、いいところに嫁ぐ」の価値観が通用しなくなる



これまでとは真逆の「個」の時代、「自分らしく生きる」時代がやってくる



ずっと「みんなと同じでなければならない」「出る杭は打たれる」「目立ってはいけない」の世界に生きてきたのに、急に「個性」「自分らしさ」って言われても、意味分かんない(笑)



紆余曲折あって「目覚め」の扉を開けたら、「本来の自分、魂の自分を取り戻す」「自分軸」で生きるための修行(?)が始まる



もう、価値観が根底からひっくり返るほどの、激動の変動期を生きている



自己犠牲から、自分を大切に、へ



辞めてはいけない、続けなくてはいけない、から、自分の感覚を大切にして無理しない、へ



みんなと同じ、から、みんな違ってみんないい、へ



「目覚め」や「アセンション」のためには、昭和の価値観を根底から覆す必要がある



そして、アラフィフ、アラカンは、昭和の価値観に今だに縛られている人が多い世代



価値観を覆すには、エネルギーが必要なのだ



そして、変化する自分を許すことが、一番大事なのかもしれない



ホントに、どんな自分もどんな自分も認めて、どんな自分も受け入れて、どんな自分も許して、どんな自分も愛す



言葉にすると薄っぺらくなるけど、そこにも「深度」がある



「深度」ごとに、何度も繰り返す



深い深いところから自分を許していく



そう感じる今日この頃



私が感じている抵抗のようなものも、出所はそこ、なのかもしれない



自分への許し(赦し)や、気づきも、高い周波数の中に身を置くことで、楽に早くなるように感じる



その高い周波数を発しているのは、植物たち



自然は偉大、なのだ

 




今日もゆるゆる地球🌏を楽しみましょう



今日もありがとう♡


 

 

 

 

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