先生が。涙でした(この場で)。
私たちの中学・高校は6年間みんな一緒。先生も一緒。担任ではなくても、校内でいつも存在を感じることができました。
卒業して、5年後に学校を訪ねても先生はそこに。10年後、20年後学校に行ってもそこに。
え??先生、いったい当時何歳だったの??
そんな先生も、お二人は、まもなく退職だそうです。
先生方のお話、真剣に聞くと私まで泣いてしまいそうで、わざと片耳ふさいだほど。

ますます穏やかなT先生。お話し内容は「子どもに言うことを聞いてもらいたかったら、まずは自分が相手の話をじっくり聞きなさい」など。そういう先生の声は心地良すぎて、すーっと流れていってしまうのは昔から。ライターの仕事で、「なんだっけ」は許されないけど、私、心が女子高生になっていたみたい(笑)。
美術の先生でしたが、私は創造することがすごく苦手でした。残念なことに「苦手なことを克服するのが人生だ」と勘違いしていた私。「美術なんて適当にして、他のことに時間使った方がいいよ」ってささやいてくれたらよかったのに(笑)…。
目が合った瞬間に名前を呼んでいただき嬉しかったです。ちょうど、年末に実家を整理していたら、卒業のときに先生が書いてくださったカードが出てきました。私のこと「控えめで、すてきな女性です」って。これの証拠になりました。
今の私も変わっていませんよ。ただ、控えめすぎて、やりたいことにも踏み出せていないことにやっと気づきました。油断すると控えめになりそうな自分と戦いながら生きています。

何年経っても変わらないのは、N先生。黒柳徹子並みですよ。
私の英語の原点です。私が海外に踏み出すきっかけとなった「夏休みのNZホームステイ」も引率してくださいました。
いたずらばっかりで「悪い学年」として有名だった私たちの担任を6年間。おかげで、若い先生が生徒に手を焼いていても、「そんなのまだまだ甘いわよ」と助言ができるまでになられたそうです。そして「あの頃は未熟であなたたちに随分ひどいことを言ったわね」って。
「先生とは、ご両親と同じで、嫉妬も妬みもなくあなたたちの幸せを応援している貴重な存在」というお話しもありました。私が今でもN先生に年賀状を出しているのは、先生にいろいろ報告したかったからなのでしょうか。

風貌だけで笑いを取ったH先生、当時は20代半ばだったって!若いのに、がんばっていらっしゃったのですね(笑)。国語の授業、黒板の前で情熱的な詩を叫んでいらっしゃった思い出があります。情熱が爆発して教室には収まりけれず(鯰の予想)、今は詩人ですって。
私、模試の国語が満点だったことも。でも、現代文を勉強するということがわからなかったので、今度先生にうかがいたいです。
私が「ライターしてます」って挨拶に行ったら、「まじで!悪いこと一緒にやろうぜ」って言われ、3秒後にはこの写真(意味もわからないまま、瞬時に悪い顔になってる素直な私)。
でも先生。今頃アルバムで「で、だれだった?」って探していませんか(笑)?当時の私を覚えていたら、ぜひ感想を。表現方法は詩でもなんでも大丈夫です。
以上、内輪ネタでごめんなさい。
私は9割のみんなが進む女子大に行かずに、別の選択をしました。
自分の過去は否定したくないけれどあの6年間に別の道があったのではないかと夢想したことも度々(これについて書くと長くなりそう)。
でも、先生方が退職までの人生を生徒のために費やし、私たちもその一部として、世の中に送り出されたのだと思うと、感慨深いものがありますし、こうして集まれるのは恵まれていると思います。
先生方に、ナマズとして元気に生きている姿を見ていただけて良かったです。
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◆「家族の思い出ライター」鯰美紀HP http://namazumiki.com
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