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8月6日は、広島YMCAに行きました。

毎年ですが、ヒロシマ8・6「証言のつどい」(被爆者相談員の会主催)に参加しました。

被爆者の方が15人くらい、全国からの参加者150人くらいでしょうか。

被爆者のお1人の被爆体験を、10人くらいで、膝を付き合わせてゆっくり話を伺うという会です。

今年お話を伺ったのは、13歳で被爆し、69年目に初めて話をすることになったというAさんです。

病院ソーシャルワーカーから、誘われて、この会で初めて証言をしてみることになったとのことでした。



以下、証言内容を簡単にですがまとめると、

当時は、中学2年生で、学校教室で閃光を浴び、背中に火傷を負った。

周りがあまりにも酷かったので、自分の火傷には気づかなかったと。

女子学生を助けようと、腕を引っ張ってあげたら、腕の皮がズルっとごっそりむけておどろいたことを今でもはっきり覚えている。

丸2日間、川沿いを歩き続けて、観音の自宅に戻った。

歩いている最中に「水をくれ」と、足を握られたこともあった。

それを今も思い出して、水をあげておけばよかったと思う。

自宅は丸焼けで、父親が、大怪我、臨月の母親はガラスの破片で全身傷だらけであった。

動けるのは正男さんだけ。

産婆さんを正男さんが探し回り、8月9日に女の子を無事出産できた。

弟2人は行方不明だったので、一人で市内を探し回った。

未だに行方不明のままだそう。


家も丸焼けだったので、10日くらいたってから、バラックで家を建てた。

川に死体がたくさんあったのを引き上げて、焼く作業を手伝った。

何も感じず作業をしていたと。。

13歳で、こんな過酷な経験をしてきた林さん。

学生で、こんな時を過ごされてきたなんて、想像を絶します。



これまで、家族にも、誰にも被爆体験は話してこなかったとのとでした。

なぜなら、人に嫌な思いをさせるだけだから。

また、話しても、被爆者だから恩恵を受けているでしょう、という声を聞くこともあった。

話しても、よい思いをしたことがない。

友達同士でも、被爆のことを話すことは全くなかった。


それだけ、重たく心にのしかかっている記憶なのでしょう。

そういえば、うちの義理母も、戦争体験者ですが、戦争の悲惨な経験は一切話したくないし、

聞きたくない、触れたくないと言ってましたわ。

69年間、誰にも話すことができなかったということに、衝撃を受けました。

今回、原爆認定を取るための手続きのため、ソーシャルワーカーと知り合い、

証言を勧められ、初めて話してみようかと思って会に参加したとのことでした。


長い間一人胸の内に秘められた想いは、想像を絶するものでしょう。


そして、計り知れない経験をたった2時間ですが、聴かせていただき、受け取る側の責任も

いたく考えさせられました。

せめて、Aさんが話してよかったと思えるような会であったらと願っております。

決心して話してくださって、本当に感謝です。

ありがとうございます。