スマホを整理していたら5.6年前の文章が出てきた。
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動物愛護を学ぼうとしたら 工場畜産による 甚だしい恒常的動物虐待を知り、積極的には畜産物を食さない暮らしに変わってきた。
なるべく畜産動物 展示動物 産業動物に負荷をかけない、その負荷に自分も間接的に加担しない暮らしかたをこころがけた。
乳牛の場合、廃用牛になるまで 体の位置をかえることもできない狭い場所に繋ぎ飼いされる。 体には褥瘡(じょくそう 床ずれ)ができる。 それは無理な姿勢を強要され足に過度の負担がかかり、体重により圧迫され鬱血(血流が滞り皮膚が赤みを帯び ただれ 傷をつくる) 重篤になれば筋肉や骨にも及ぶ。生命にも悪影響をおこす。
そこには国際的動物福祉の基本(5つの自由)などどこにあるのかわからない。
器具による強制妊娠 生まれた子牛は初乳も与えられず引き離され、本来の寿命の半分も生きられない。5年で殺されるということも神奈川県動物愛護協会の動物福祉のテキストにあった。
肉用牛 肉用豚 繁殖牛 繁殖豚
ブロイラー 採卵鶏
どれも悲惨な結末が待っていることを知ったら そこまで畜産動物を犠牲にして、豊かすぎる食生活を送ることの意味があるのか考えてしまった。
物価の優等生というバタリーケージ式採卵は採卵鶏に地獄を強いているだけだとわかった。
欧米の産業革命から伝播して日本にも工場畜産が導入さるまで、幼い頃 卵は病人の食べ物とされていたと大人から教えられた。
それは、鶏が月に一個くらいしか産まないとされる卵は貴重品であったからだ。
工場畜産の恩恵で日本人はタンパク質を容易に摂取でき 体格も向上しそれに伴い体力もついて健康を得られたと思う。しかし、貪欲な私たちはさらに飽食を追求し 地球的規模で多くのものを破壊してきたことも無視してはいけないとおもう。
牛乳神話に踊らされた子育て時代を振り返ると自分の無知を叩きつかれたようだ。
私たちは中道という"足るを知る"をここれがけていくのはどうだろうか。
何がなんでもどんな手を使っても 生乳を確保しなければいけないと 農家に強いるのではなく 生産量輸入量が減少したなら、まずは必ず必要なところ(例えば粉ミルク)に供給し 牛乳をほとんど摂取しなくても暮らしていた明治維新前を思うと自分たちの生命維持になんの危惧があるだろか、、とミルクショックのあの年に日本政府が国策を間違えなければ、乳牛を緊急増員させた現在 余剰乳牛と汚名を着せられた命を、意味もなく 屠殺=殺処分=動物大虐殺 を起こすような馬鹿げた結果を産まなくて良いはずだ。
畜産改革には畜産に関わる人々への生活保障や 日本経済の打撃も無視はできない。
その意味でも畜産動物への福祉を向上させつつ 社会の構造を変えていく必要がある。その原動力はまずは民衆の意識が変わることだとおもう。
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