こんにちは
読んで思い出して辛くなる方は次のブログから読んでくださいね
阪神大震災の時のことを書きます
バカボンやお嫁ちゃんがこのブログを見てくれてるから書こうと思いました、覚えていないだろうけれどこんなことがあった事を忘れずに誰かに伝えていってくれたらなぁって思います
あの日は朝方にすごい汗かいて起きました、なんか変な感じがするなぁと思いながらトイレに行ったのを覚えています
バカボンは産まれて3ヶ月、母ちゃんの横で寝かせていました
トイレから出てきて布団に戻るも感じたことのない暑さと不気味さ‥‥
そして5時46分
外がめちゃくちゃ明るく光りました、稲光どころの明るさではなかった
そしたらいきなりド〜〜ン!とすごい音と同時に大きな揺れが
すぐにバカボンを布団に引きずり込み上に覆いかぶさりました、あの時かりにタンスが倒れてもギリギリな場所に寝ていたような‥
何秒かわからないけれど長かった、もうダメだと思った
その時住んでいた場所は震度5強←あとから知った震度でした
揺れが、おさまった時にお隣のママが泣き叫びながら助けて〜って声が聞こえた、母子家庭だったから怖かったと思う‥
助けなきゃと思いバカボンを布団にくるんで布団から出た
暗くて部屋がどんなふうになってるかなんてわからなかったけど台所に行くと食器棚の扉が開いて食器が落ちてあちこちに食器の破片が
スリッパ履いて玄関開けた、うちはちゃんと開きました
外でてお隣に行くとママが玄関先で泣き叫んでたから開けようと思って開けようとしても枠が歪んで開かない
どうやって開けたのか記憶はないんだけど若かったし火事場のクソ力!発揮!
ママが泣きながら抱きついてきて、その時のことが未だに忘れられない、幼稚園の男の子もいたけど寝ていた
明るくなってから段々と被害が分かってきて、文化住宅2階に住んでいたのだけど階段が‥
落ちてなくなっていた
両端に階段があったからまだよかった、片方の階段は無事だった
部屋は食器の破片、あの当時のアナログの大きなテレビもあと少しで落ちるところまでズレていた
壁には大きなヒビがあちこち
とにかく物が散乱していた
テレビもすぐにつかなくて状況は何もわからなかった、電話もつながらなくて連絡のしようもなかった
すぐに着替えてバカボンを抱いて歩いて実家まで行った
あの当時はおじいちゃんおばあちゃんもいたから心配だったけど家も無事で怪我もなく何もなかった、ホッとした
実家もマンションだったけどコンクリートの壁があちこちヒビが入っていた
うちは階段のすぐそばの部屋だったから家主も階段がなおるまではどこかで避難しといてほしいというから実家にしばらくいることになった
その日に被害が分かってきて恐怖で鳥肌がおさまらなかったのを覚えています
約6500人の命があの時に奪われました
震度5ですらあの恐怖、死ぬかもしれないって思ったのだから神戸の人たちはどんなに恐ろしい思いをされたのか想像を絶します
ここ数日前からテレビでも取り上げられていますが、若い人にたくさん見てもらいたいです
そして防災意識をもっともっと持ってもらえたなぁと思います‥
東日本大震災、能登半島地震これからもまだ大きな地震はあります‥
大きな地震から得たことを無駄にしないよう自分の命を守れるようにしてもらえたらなぁと思います‥

こんな小さな家族もちゃんと守れるようにちゃんと避難バックも用意しておきましょう
あ、またしばらく見てないから餌の賞味期限チェックしないと

らむくん毎日変わらず元気です
かわいいおばあさんて聞いてたから会うの楽しみにしてたんですが
インフルエンザは良くなったみたいなんでそこはうれしかった

未だに咳もでて鼻水もでて本当にしつこいし長引きます
まだまだ流行ってるようなので皆さん気をつけてくださいね
かわいいお友だち元気に過ごしてね
体調崩しているお友だち、らむねが全力で元気玉送るからね
いつもありがとうございます



















