うちの長男、長女は今小6、小3なんですが、
この二人は
「命の尊さ」や「家族の大切さ」にかけては
ほんとうにすごくよく身にしみていると
思っています。


道徳の授業なんか要らないくらい。


それくらい、
実体験で学んだことの大きさや深さは
計り知れないものを持っています。



それはやはり、次女との2年間があったから
なんですよね。

…

…


二人がまだ小学校に入る前、
6歳と3歳だったときに
次女が生まれたんです。


待望の赤ちゃんを心待ちにしていた二人。


でも、さぁ出産!ってなったときに、
あの、まさかの壮絶出産。


胎盤剥離による出血多量で
私は10分の9の確率で死にかけて、
赤ちゃんは重度の障がいを負い


幸せいっぱいの新生児室とは程遠い、
モニター音の鳴り響く
NICU(新生児集中治療室)で
兄姉は妹と対面したんです。


そして、ガラス越しにしか会えない
NICUで1年半。




いつまで経っても家に帰ってこない赤ちゃん。


毎週土日は面会に行き
病院の待合室で塗り絵や本を読んで
過ごす日々。



GWも夏休みも冬休みも、
毎回NICUに寄ってからお出かけしてた。



機械や管に繋がれた小さな妹。


ガラス越しにのぞくけど
抱っこもできない。



そんな日々。




そして、待望の転院で
やっと触れ合えるように
なったにもかかわらず、


妹はびくともしない。


目は開いたままで表情もなく
声をかけても名前を呼んでも
絵本を読んでも歌を歌っても


何も返ってこない。



それでも、
「〇〇ちゃん、だいすきだよ」
「早くげんきになってね」と
毎回声をかけ続け、手紙を書く二人。


いつか回復して
車椅子に乗って
病院の周りをお散歩しようね。


そんな日を楽しみにしながら。



…

…


そんな日々が日常になったころ、
次女は病院で天使になりました。



そして、皮肉にも、
次女はこのとき初めて
おうちに帰れたのです。



当時5歳の長女はいつものように
次女に手紙を書きました。

「〇〇ちゃん、がんばったね。
てんごくでげんきになってね」

それを見て私も長女もたくさん
泣きました。


そして、初めて次女が帰ってきた日。
私と、夫と、長男、長女、そして次女。
初めて家族5人で並んで寝ました。


最初で最後の5人家族。
最初で最後の悲しくて温かい夜でした。


…

…


そんな次女との日々を経て、


「生きる」っていうことが
どういうことなのか。


どれほどの力を振り絞って
次女が生き抜いたのか。


幼いながらに
たくさんたくさんたくさんたくさん
見て感じてきたんだと思います。



だから、この子たちは
人にものすごく優しいし、

家族は何があってもみんなで守るもの、と
教えられなくてもわかっているし


世の中には次女のような子もいて
その子たちもみんなせいいっぱい生きていて


そういう子たちの周りにも
自分たちのようにその子を愛する家族がいて


何かができてもできなくても
生きているだけで愛されているっていうことを


理屈じゃなくて
体感的に知っているのだと思います。




当時は私たち自身も
悲しみの闇に飲み込まれていて
心のコップがスカスカだったので


この子たちの教育とか遊びとかに
あまり力を入れてあげられなかったかもなぁ、
と気にしていたのですが…


今思えば、
算数より国語より
なわとびよりサッカーより


何よりも大切な
命のおべんきょうを


家族みんなで
やってきたんだなぁ。


それってすごく素敵で稀な
神さまからのギフトだったのかもしれない。


5年経った今、そう感じています。



だって、次女の経験があったから、
三女が産まれたときの喜びはハンパなかったし、

三女はダウン症だけど
家族全員、それがどうした??(本気で^^)
って感じだもんね。

生きておうちにいて
毎日遊べてみんなで並んで寝られるし、
お出かけもできるもんね。


…

…


そんなわけで、あのドン底時代こそが
我が家の人たちの心の基盤となっているのでした。


よかったらこちらも^^

《参考記事》
ピンク薔薇壮絶出産から天使になるまでのまとめ↓

ピンク薔薇壮絶出産のリアルな記録↓