息子は本当に強くて、勇気があって、賢い子でした。
妊娠したのは、上の子の寝顔を見ていて、あまりに可愛くて、こんなかわいい子がもう一人欲しいなぁと思ってすぐでした。
妊娠中、家を買いました。中古ですけどね。
私の実家に近く、値段も希望通りで、一軒家なのでベビーベッドを置くスペースがあり、何より病院に徒歩でいけるところです。
息子が「ここがいい!」と買わせてくれたんだと思います。
産まれたのは旦那の誕生日と一緒です。
これなら、絶対忘れない。
これからは旦那の誕生日を蔑ろにすることはないでしょう(笑)
産まれて1ヶ月、延命処置の話をされたとき、病院が家族で過ごす時間を作ってくれて、いっぱい抱っこしました。
その時、私はやっと葛藤から抜け出して、心から息子のことを可愛いと思ったところだったので、
まだ旅立つ心の覚悟ができてませんでした。
そしたら頑張って持ち直してくれました。
私は、おそらく私より人生が短い、息子が生きた証を残しておきたくて、それも生きているときに取っておきたくて、赤ちゃん筆を作ろうと思っていました。
ちょうど髪の毛が伸びてきてクルンクルンになってきていたので、5か月の記念に散髪しました。
普通に散髪して、ぎり筆が作れるくらいまで取れました!
看護師さんに提案してもらって、お風呂にもいれました。
旅立ったのは、その次の日でした。
土曜日だったので、家族みんながすぐにかけつけることができました。
頑張って産まれてきてくれたから、家族の時間をもつことができました。
頭をなでることも、かわいい手や足を触ることも、抱っこすることもできました。
脳のことがなくても退院できない体だったことを教えてくれて、
私がやりたいことを全部やるまで頑張ってくれた。
もし、胎盤早期剝離でなくて、普通に産んでたら、栄養が吸収できないことはいつ気づいただろう。
吐いたって、よく吐く子だな~って思ったり、本当はむくんで体重が増えているのを、順調に育っていると勘違いしたりして
早々に手遅れになっていたかもしれない。
それをわかって、あの子が一番生きられる方法が、胎盤早期剝離で産まれて、すぐ病院に入院することだったんじゃないかと強く思う。
その証拠に私は元の状態と変わらず生活できてる。
お腹に息子が産まれた証の傷も残ったから、絶対忘れることはない。
池川明先生の本で、どの赤ちゃんもメッセージがある、体も選んで産まれてくるんだって読んだ時、
息子は命をかけてまで、寝たきりになって、命を懸けるほど伝えたかったことって何なんだと思いました。
とりあえず、一緒に過ごしたかったんだね。
実は今回の妊娠中、あまりお腹の子に気を回せなかったの。
残業続きだったし、遠出もしたし、多少無理をしたってこどもは無事に産まれてくるだろうと高をくくってた。
子供が無事に産まれてくることは幸運なことで、
今度は妊娠中からもっと可愛がってね、
家族の時間をもっと大切にしてねって言いたかったのかな。