エリザベス・キューブラー・ロスという人が提唱した「許容の5段階」を辿っているなぁと感じる日々です。


これだっけ?
忘れたんだけど、昔読んだ本の内容を
今になって理解している。

これは、死の宣告をされた人が、
それを受け容れるまでに色んな気持ちになって
苦しんだり悩んだりする…

その段階を言語化し説明したもの。
だったと思う。

私は死の宣告を受けたわけではない。

死なないけど、死ねないけど
そこそこ鬱陶しく厄介な状況に陥り、
治るかどうかもやってみないと分からない。

周りにも迷惑かけちゃうし、自分は不自由だし、
(車の運転ができない、とか)

やりたい事もあるにはあったのに、
出鼻を挫かれっぱなしでそれどころではない。


「え?何なんですか?わたしの人生?」
…半笑い半ギレとあきらめ。


って気持ちになっていたし
今でもそう思ってるところはある。


色んなことを感じ考えるので
整理が追いつかない。

口から出る言葉は統制がとれていないけれど、
なかなか芯を食ってるな、とは思う。

でも、そう考えついたからといって
自分の気持ちが穏やかに納得しているかっていうと、そんなことはない。

「人に迷惑をかけるな!」

って言われながら育ってきたし
過去、失敗したり間違えたたり
病気になったりした時に受けたのは


労りの言葉よりも叱責の言葉だったから
わたしは「助けて!もう無理!」と
人に言うことが苦手だ。

それはもう、他人が理解できないレベルで苦手。
まず、「誰かに助けを求める」ってアイデアが
浮かばない。

ギリギリまで、それこそ、病院たらい回しにされて入院宣告されるところまで来ないと

え、これやばくないか?
私ひとりじゃ、どうしようもない…


って気がつかないレベル。

なんなら、迷惑かけるくらいなら死にます、
と、本気で思っちゃってるから
普通の人と話も通じない。


今回、そんな自分と、似た感じで育った兄弟
旦那や弟の奥さんという
普通の家庭で育った人たちと触れて


自分のヘルプを出す能力の低さ


と、それとは別に、生き方の違いを
目の当たりにして
まざまざと感じて



「人に迷惑をかけるな!」の意味って

「わたしは迷惑だ!関わりたくない!」

ってことだったんだな、と
今朝、唐突に理解した。


そっか。
うちの親、わたしと関わりたくなかったのか。


という、遅まきながらの理解。
直接言ってくれないと、なかなか分からないものだ。

今回、弟2人と元旦那さんにお金出してもらって、悪いなぁと思った。

縁を切ったとはいえ、弟達とは交流のある親に、入院費助けてくれない?

って聞いてみようかな、と思ったのには理由があった。

まず、弟宅へ行ったら、弟の奥さんのお母さんが来ていて、8年ぶりくらいに会ったのね。

娘家族のサポートや、夏休み中、共働きで親が不在時の、孫の面倒を見に来ていて、定期的に手伝いに来ているんだろうな、って感じがした。

私はこんな風に、手助けしてくれる親っていないどころか、困ったことがある度に、批判や責めの言葉を浴びせられるばかりだった。

子供の頃からずーっとそうだったから、定期的にそう言われることに慣れすぎていて、
「私が悪い」とまでは思ってなくても
本当にストレスだと感じていたから、ある時、関係を断つことにした。

それはいいのだけれど。

一方で、当たり前のように、子どもや孫の世話を手伝ってくれる弟の奥さんの親たちと、今でも普通の顔して付き合ってるのかな?

と考えたら、身震いがした。
…その、嘘くささというか、なんというか
普通の顔して社会的な付き合いを続けることができる、(してるのかどうかは知らんけど)
その二面性というかなんというか、に。

弟の奥さんのお母さんは、私を心配してくれ、私は久しぶりに母親的な何かに触れたと思った。

続く