それは、たぶん
本当の願いではなかったからです。
というか、その願いこそ現実逃避だったなぁと
気付いて驚く。
トラウマ深っ
ってね。
これ読み返して感慨深いんだけど
例えば3年前は
全然こんなんじゃなかったです![]()
さらっと読んで戻ってきてね↓
3年前の今頃、ちょうど離婚したてだった。
コロナが始まる前で
子どもは保育園に行っていた。
離婚したけど、また一緒に住もう
3人で暮らそう、とダンナに言って
OK出たから安心したけど
だからってそんなにすぐ
仲良くなれたわけでもなければ
きちんとコミュニケーションが
取れていたわけでもなかった。
離婚してからは
目の前の彼以外のことを
考えなくて良くなったから
すごく楽になった。
離婚したはいいけど、別居して
子どもと二人で暮らしたいわけでもなかったし
仲の悪い親のところで馴染みのない土地で
新しい生活を始めたいとも、全く思わなかった。
どちらの選択肢も、正直しんどかった。
子どもに相談したら
「またとーちゃんと一緒に暮らそう
」
と言うので
だよねぇ、それがいいよねぇと合意![]()
離婚したのに、とか、今さら、とか
そーゆーことさえ考えなければ
それがベストだと思った。
経済面の話ではなく
子どもと二人きりの生活は
私には考えられなかった。
一人では面倒見られない、誰かにいてほしい。
誰でもいいわけじゃない、子が慣れてる人がいい。
…ダンナさんやないかーい!
てなことで、離婚してわりとすぐかな。
ダンナは転居先として
シェアハウスを決めていたらしいけど
また一緒に暮らそうという
私たちの申し出に応えてくれた。
…それから3年。
こんなに何もかもお世話になってしまうとは
さすがに考えてなかったけど
離婚前よりお世話になっとります
…という、ありがたい現状。
なんでこうなったんだろう❓って
今でも考える。
あの時の本当の望みは
何だったのだろう、と。
①子供を可愛がりながら、子育てを楽しみたい。
②一人で子育てするのは嫌。誰かいてほしい。
っていうふたつ。
これは完璧に叶ってる。
コロナで勤務形態が変わったダンナは
拘束時間が減ったのと自由が増えたことで緊張が緩んだのか、前よりも30倍は人間らしくなった。
子どもの成長いちじるしい3年間を
彼と見守れたことは本当によかった。
3年前の望みは、ほぼ叶ったけど
一向に叶わない望みがある。
それは私個人の経済面・仕事面のこと。
私は、今より自由な形で
稼げるようになりたい、自由に仕事したい
と思っていたけれど
それにしても全然、うまくいかなかった。
あまりにうまくいかないので
私、何でお金ほしいんだっけ❓と考え直した。
いつでも逃げられるだけのお金がほしい。
いつ裏切られるか分からないから
自分で稼げるようになりたい
=家庭生活の不安と恐怖から逃れたい、だった。
なんでこれほどまでに
「家庭生活」が恐怖なのか
私と親との独特な関係が原因でしかない。
「家庭」といえば
あたたかくてホッとできる場所、
って思ってる人が多いのは分かるけど
私の体幹としての「家庭」とは「実家」とは
そんな、生優しいものじゃなかった。
実家にいた頃のインパクトが強過ぎて
私にとっての「家庭」のイメージは
リラックスとは程遠いものだ。
母が突然怒り始めて
何時間も暴言を吐かれ続けたり
追い出されたり
私の荷物に
「出ていけ!戻ってくるな!」
と黒マジックで書かれた張り紙がされているとか
それを父も見て見ぬふりをする。
弟は飛び火を恐れて関わりを避け
母のヒステリックは私への集中砲火となる。
たまに機嫌がよくても
何かの拍子に昔を思い出し
エンドレスで愚痴を言い続ける…
とにかく疲れるし、傷つくしばかりだった。
そんな思い出ばっかりで
リラックスどころか不眠症が悪化。
母は外面がよかったので
その話はなかなか信じてもらえなかったり
親はそーゆー時もあるよ
ってレベルじゃないんだけど!?![]()
ってこととか…
私は「家庭」という閉じられた環境が
恐ろしかった。
しかも、経済面での立場が弱いとなると
圧倒的弱者じゃん!
ていう被害者意識、または奴隷根性
みたいなのが抜けなくて
とにかくいつも緊張していた。
そーゆー節は、今でも残っていて
時々気がついて
やめよやめよやめよ!!
って自分に言い聞かせる。
そうは見えないのだろうけど
トラウマレベルで「家庭」や「家族関係」が恐怖で、いつ裏切られるか分からない、といつも怯えていた。
恐怖が強過ぎて、恐れの奥にある
「本当はどうしたいのか」まで行き着いてさえいなかった。
そして状況は、自分が
「どうしたいのか」が決まらないと
本当にどうにもならないのです‼️
だから今、考え直す。
誰かに脅される恐怖を感じたくない‼️
てか、誰かの機嫌に、自分の人生を左右されたくない‼️
だから、自由になりたい。
経済的にも肉体的にも精神的にも
自分に、どんな自由も許したい。
したいことをしたい時に
自由に好きなだけ選べるようになりたい。
気持ちは?どんな気持ちがほしい?
家庭内での
絶対的安心感がほしい。
何事にも振り回されない
心の安定感がほしい。
自分への信頼感がほしい。
これが私の本当の望み。
お金以前にめちゃくちゃ欲しかったもの。
安心させてほしかった。
大丈夫だって、言ってほしかった。
あなたならいけるよ、と信じてほしかった。
他の誰でもない…自分に。
はじめはそうだったに違いないけど
あまりに打たれまくってたら、折れてしまう。
「家の中」という
他人の目に晒されない空間が
私には恐怖の舞台装置でした。
いつかホラーが始まるに違いないと
いつもいつも怯えていたけれど
怯えを見せてはいけないと
さらに強がってもいた。
完全にトラウマ![]()
何重にも自分を縛りつけていたことに
なかなか気が付かなかった。
恐れているうちは、本当の望みが分からない。
安心を感じられなければ
先に進めないって気づきは、ある種の直感だった。
不安から逃げたい!の一心では
「こうなったらいいな」のテンションには程遠いもんね。
途中で吐きそうになりながらも
自分を分析してみた。
だいたい間違ってないと思う。
願いってポジティブなものだから
不安いっぱいの中では本当の望みが出てこない。
何で前向きな気持ちになれないんだろ?
何で安心できないんだろ?
って思ってたけど
私はすごく、傷ついていたんだ。
そのことを、自分にすら隠していたんだ。
そのことに気がつけたのは、
子どもがあまりにものびのびして自由で
ダンナにも全然気を遣わずに容赦なくツッコんだり軽く全否定したりしていて
それに対してダンナが、怒ったりせず
笑って受け入れていたのを見て
そして2人が、友達のように屈託なく仲良く
時に激怒されたり泣いたりしながらも
あと腐れなく仲良くしているのを見て
私の中の思い込みにヒビが入ったよね。
家庭って恐ろしい、修行の場なんだって思う。
だけど、
突っかかるたびに
問われているのは
私の人間性や正義感や
出来不出来ではない。
私が本当は
どうしたいか、ってこと。
何が好みかってこと。
これ間違えてる宗教関係者、
めちゃくちゃ多いけど
あなたはどんなのが好きなの?
こんなのはどーお?
って聞かれてるだけだった。
ここまで書いて、やっと腑に落ちた。
分かったら、もう怖くなんかないよね。
私、こーゆーの嫌い‼️
こーゆーのがいい‼️
って設定し直せばいいだけだから。
ということで、私は今
あらためて設定し直す。
家族と仲良く、
自由に好きなだけ遊べるようになりたい。
制限なく好きな方を
選べるようになりたい。
恐れを感じることをやめる。
あー、夜中にこれ書き始めて
約半日
やっと終わりにできてよかったー。
こーゆー重めの気づきからの復旧は
疲れるけど、めっちゃスッキリする![]()
理由を掘り下げすぎるのも
不必要に落ち込むだけだから
ほどほどにしときなはれや![]()
安心感を思い出して
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