昨夜のインスタライブ で




話しながら分かったこと。
私はアトピー体質なのですが
出たり出なかったりの差が激しい。
ちなみに、イシュタリアの
クレンジングソープとクリームを使い始めてから
顔はどんどん若返って行く気がする
先週あたりから、久しぶりに
自分で止められないほど
毎晩毎晩、掻きむしってた。
だいたい同じ箇所だから
薬を塗っても意味がない。
だって、治ろうとしている皮膚を
ばりばりがりがり
容赦なくひっかいてしまうから。
ふつう、傷はさわらずにいると治る。
だけど、ある種のモードに入った私は
かきむしる手を止められない。
こうなると薬なんて
ほとんど意味がないと思う。
それで、なんで、どうして
何が引っかかってて
こんなに自分を引っ掻き回すのか
自分に問うた。
そしたら
なんとなく、こうした方がいいのだろうな
これを望まれているのだろうな
と、周囲の期待がなんとなく分かるけど
自分にはそれができない
または、したくないときにこうなる。
と、気がついた。
例えば職場で。
ここでこんな風にふるまえたら
和やかに仲良くいい感じに過ごせるのだろう
と思っても
私には全くできない。
ホワイトデー、
ダンナにデートに誘われた。
バレンタインデーにチョコもあげていないのに。
(毎度のことだが)
誕生日が近いからワンピース買って
とおねだりして
いいよと言われたあと
この辺ならホテルもあるしな
といった
ダンナの言葉に引いた私がいたわけ。
事実婚、離婚してる、
セッ クスはお互いの合意のうえ。
お互いその認識でいるのかな
と、思っていた。
が、本当はどう思っているのか
激しく不安になった。
私がセ ックスを断れば
生活費をもらえないのでは❓
誕生日プレゼントもない❓
ていうか…
私は彼とのセッ クスを断れないのか。
と、芋づる式に不安になったのは
デートの日にセッ クスしたくなるかどうか
今の私にはまるでわからないからだ。
今、全然そんな気になれないからだった。
そしてこの流れで私は
セッ クスを断ったら生活できない
イコール
私はとらわれの身で
不自由極まりない生活を我慢しなくてはいけない
という気分に激しくとらわれてしまい
もう、自分でも
どうしていいのか分からないほど取り乱して
身体中を掻きむしって
血だらけになっていたのだった。
それでね。
最近この本を読んだのだけれど
手に取るまで時間がかかってしまった。
犬を人生のパートナーとして選び
性生活もするズーフィリア、通称ズー
といわれる人たちの話。
著者は、その当事者たちと
しばらく一緒に日常生活を送り
自然な形で取材する
というスタイルを貫く。
たくさんの章のひとつに
こんなエピソードがあった。
実際、犬との性交渉はどうやって始まるのか❓
という問いかけに対し
ズーの人たちはみな
犬の方から誘ってくる
と言うわけ。
その答えを信じられない著者が
滞在した一軒の家で
実際にその瞬間は訪れる。
犬がそのそぶりを見せ始め
ズーがマスターベーションしてやるところを
見ることになった。
あとで著者は、そのズーに向かって
私はズーにはなれないと思う。
飼い犬の性まで、とても受け容れられない。
というようなことを言うのだけれど
ズーの答えはこうだった。
君はどうして
自分がなんとかしてやらなくちゃ
と思うんだい❓
自分が受け容れなくても
マスターベーションをしてやるとか
他にも方法はある。
それに、どんな生き物でも
求める自由とともに、断る自由もあるはず。
というようなことを言うわけ。
著者は長年DVに苦しみ
その苦しみを昇華させたくて
「獣姦」と一言でまとめられがちな
すこぶるイメージの悪いこのジャンルを
研究の題材に選んだのだった。
私はDV被害者ではないけれど
いわゆる毒親育ち。
この手の被害者の傷の根の深さは
自分が自由だということを
ついうっかり、簡単に忘れてしまうところだ。
そして自分を責め、傷つける。
わたしも人の期待には
自分が応えなくちゃいけないと
なぜか勝手に思い込んで
それで嫌になったり
身体中掻きむしったり
悩んだりしていた…❗️と気づいたんだよね。
嫌なら断る。
という自由があって
選択肢の1つとしていつもあるのに
なぜかいつもいつも
勝手に応えなくちゃいけないと思い込んでいた。
それでね、昨日は
家でダンナを見ても何言われても
わたしはわたし
わたしはわたし
わたしはわたしだから関係ない
わたしはわたしだから大丈夫
って何回も頭の中でつぶやいて
自分のことを中心に動くようにしていた。
…そしたら。
痒みが減った。
完治まで1週間はかかりそうだけど
必要以上に自分を傷つけずに済むことが
なによりも嬉しい。
そしてね
他人の期待に勝手に応えなくちゃと思って
嫌なのに逃げられず苦しんでいたのは
子供の頃の私だった。
私が不幸なのはお前のせいだ
といい続けられた幼少期
高校進学とともに家を出る私に
お前は私から、この家から逃げるんやな⁉️
と言い当てて私の罪悪感を煽った母親は
自ら買って出た姑の介護生活に疲れ
早く死ねばいいのに
と時々言い募る。
けれど…残念ながら
私には、もう関係ない。
ダンナとのセッ クスを拒んだとしても
私は死なない。
世の中には私たち以外に
男も女もたくさんいるのだし
なんとかなるだろう…っていうかさ❗️
セッ クスしたいもしたくないも
その時の気分が全て。
そんなことで拗ねるような男なら
本格的に願い下げだ。
と、ここまで考えてやっと
安心することができた私の
病的な責任感よ❗️
そして思考の極端なこと❗️
恐いんだね。色々怖かったんだね。
もう、いらない。
こんな考え方、もう、いらない。
そして、最悪私には私だけいればいい。
長くなったけど
慣れ親しんだアトピーだけど
精神疾患レベルで症状が出る
自分の感受性を
こんなところで無駄に使わずに
大切にしたい。
違う方向で使えばもっと生きるのだから。
そう、本気で思った。
自分を虐待するような考え方は
もうしなくていいんだ。
