子どもの退院時間を延ばしてもらって、お昼過ぎまで寝ていました。…退院した後のことを思えば今しかない!という気持ちもあって。
いやー、10時間寝ましたけどまだまだ!眠れます。
わが家のベイビー(って言えないか、2歳だと)は1週間の入院生活を終え、無事に退院しました。
薬の上手な飲ませ方も看護師さんから学んだし、大部屋で過ごしたことで、どこの家の夫婦も親子もさほど変わらない会話を交わしていることも知りました。
カーテン一枚の仕切りなのでやりとりが丸聞こえ。
子どもはみんな、それぞれの形で自由でした。
病気でも知的障害でも。
親は一応周囲に気を遣いながらも、子どもの可愛さと可哀想さとうっとうしさを存分に味わって楽しんでいるように聞こえました。
不謹慎かもしれないけど、それぞれの家庭にそれぞれのルールや愛があるんだな〜というのが分かって、なんかちょっと、子育てに対して気が楽になりました。
みんな大したことなかったし、みんなすごかった。
うちも同じなんだと思います。
全くの他人親子と何日も同じ部屋で寝るなんて初めてでしたが、人間、必要に迫られればどういう環境にでも慣れちゃうんだと分かりました。
簡易ベッド初夜は全く眠れませんでしたが、翌日からは爆睡。
せまい子ども用ベッドで子どもと一緒に寝ることにも慣れました。
人ってこんなに慣れられるものか…と驚き、
だから、自分が本当はこうしたい!っていうのを妥協したとしても、妥協した環境で慣れてしまうのだろうな。
だから、生活におけるささやかな希望を妥協せずに叶え続けたいなぁ。
ていねいに生活したい、と思いました。
ゆっくりと。
いわゆるきちんとって意味ではなく、焦らず自分のペースで、って意味です。
入院の付き添いって、ある意味極楽かも。
家事一切しなくていいわけだから。
洗濯くらいなもの。
子どもが具合悪くて寝てばかりいる時なんて、漫画がめちゃめちゃ読み進められました。
(進撃の巨人・ゴールデンカムイにドハマり!)
自由ってわけじゃ全然ないけど、看護師さんに
「ちょっと離れます」と言って1人でおやつ食べるのも楽しかったです。
と言いつつ、基本睡眠不足で常に眠かったんですが。
入院前の生活は、いつも何かに追われてるようで、いつも大変な気がしていて、なのに全く何一つやった!という手応えがない…
と、意味不明に焦りまくっていました。
入院したかったのは、わたしだったのかもしれません。
1週間、ゆっくりさせてもらった。
仕事も辞めさせてもらいました。
(近所で事務、バリキャリ主婦が自分の時間でガッと働いてパッと帰る、ていうのに馴染めなかった…)
あと、時々オリンピック中継見て泣いたり泣きそうになったりして思ったんです。
努力が成果に結び付く人ばかりなわけじゃない。
努力してモノにできるなら、それはすでに才能。
わたし、努力して何かを手にする人間とかストーリーとかが大好きで感動するし、
自分もそうなりたくて色々なことをやってみましたが、
どうやらそういうキャラじゃないみたいなんですね…。
例えば、
駅に行ってみたらたまたまトロッコ列車が来て、ほんとはそっちに乗るつもりなかったんだけど直前で気が変わって、車掌さんに乗ってもいい?って聞いたら快く乗せてもらっちゃったけど、その列車、ほんとは予約しなきゃいけなかったらしいよ?
前もって調べて時間に合わせてちゃんと並んで切符を買う人もいるのに。
なんとなくいけちゃった、とかなんとなくやらせてもらっちゃった、って、わりとそーゆーことの連続で生きてます。
予約しなきゃいけなかったとかそもそも知らないし、特別興味あったわけでもないんだけどなんとなく乗れちゃった。
オリンピックとは次元が違いすぎるかもしれないけど、
そーいえば努力して勝ち取れたことより、なんとなくそこにいて、ついでに連れてってもらったら珍しい場所だったってことの方が多い人生だな、と、急に思い出したのです。
わたしは吉田沙保里選手がすごく好きで憧れるんですが、もうどうしようもなくそーゆーのはムリなタイプなんです。
オリンピック中継を見て、そんな自分を思い出して、憧れに少しあきらめがついたのでした。
遅い気づきだけど、まぁいいや。
でも、ベリーダンスやナレーションは好きだから、うまくなりたいから、がんばります!
最後に、今日またもやティッシュペーパーを一緒に洗濯してしまって驚きました。
確認したはずなのに、もうここまでくると不思議です。今週4回目の異物混入洗濯。
明日こそ気をつけよう。おやすみなさい。
