「制御できない激しい怒りがなぜ自分に必要なのか分かった。侮辱に対抗するためだった。」


先日、引っ越し先に持っていく本の選別をしていたのになんとなく読み始めてしまったのは、


「ピアッシング」 村上龍   


殺人願望のある男と、自殺願望のある女が偶然出会うサイコスリラーで、主人公2人は虐待で精神をおかしくしているが、かろうじて普通の社会で生きていて…

というストーリー。



前のブログ記事に書いた、「母からノコギリが送られてきた」という現実は、この本が引き寄せたのではないかと思ってしまった。

今回の私の場合、激しい怒りも哀しみも通り過ぎて、もはや疲れを感じるだけだが、この一文にはハッとさせられた。



村上龍の作品には虐待された子どもが多く登場し、人が殺したり殺されたりする。

たいがい恐ろしい方法で殺したり殺されたりするのだが、そうなる過程の心理描写がものすごく緻密なので、読むと癒される。

自分の心が傷ついて、それでも生きるために再構築された心の様子が顕微鏡で見ているように分かる気がするから。

傷は解体されるが、
登場人物は自分を変えようとしない。
殺人または、それに準ずる恐ろしいことは回避できない。

そのことが、私をなんとなく癒す。
なんとなく、というのは、「癒されたわ~」という明るい感じではなくて、自分でも夜中にこんな怖い話読んでるのになんでか分からないけれど、読んだ後に少しすっきりしている…

という類の、という意味。

彼の本のおかげで、私は誰も殺さずにここまで生きてこれたのかもしれない。


やっぱり傑作。

あとがきに、
「この国の文化は幼児虐待に象徴されるものを覆い隠そうとする機能と伝統を持っている。あらゆるメディアが能天気な情報を垂れ流す陰で、言葉を失った人々が喘いでいる。そういう人々の叫びと囁きを想像力によって翻訳するのが作家の仕事なのだ。」

とあって、感動した。

1994年…今から22年前の作品。

虐待はその頃よりは知られるところとなったが、正直減っているとは思えない。


だからといって私には何もできないが、傷を持つ者の一人としてこのような作品に出会えたことを嬉しく思う。


ということで、この本は捨てられない。  

あ、朝になっちゃった。