救われたい心を救うもの | スーパーおめぐのブログ

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今朝起きてすぐ布団の中で、

昨日図書館から借りてきた



「勇気を出して~小さな親切 作文コンクール」



という本を読んでいました。




中学生たちが「小さな親切」を勇気を持ってやった経験が


彼らの初めての経験だったり

心が温かくなった体験だったり


それがとても純粋に書かれている本です。



布団の中で私の心もウルウルしながら、

私自身の小さな親切、を思い出しました。



私が小学1年生の頃、

近所のバス停におばさんが何やら困ってるように立っていました。



たぶん私は無意識にその人へ近寄って行ったのでしょう。



目が不自由な方だ、って事がわかりました。



バスの時刻表を顔を近づけて困った顔をしておられました。



私はどう会話したかは覚えてないのだけど、その方の見たかった時刻の数字を読んであげたのだと思います。



読んであげると、その方は



「ありがとうね、助かったよ」



とニッコリ笑って、

お財布から500円出して、

私の手に乗せて、両手で包んでくれたような記憶があります。



子供ながらに500円も貰った事もだけど、



初めて誰かの役に立てた驚き(これが人を助けること、という事をまだ知らない私)と、


その方の笑顔から、私は何か人が笑顔になる事をしたんだな、と思ったのを覚えています。



親切と言えば、

うちの母の行動は子供ながらに印象的でした。



母と小学低学年の私は近所の祖父の家から歩いて家に帰るところでした。



雨が降っていて、傘は一本しかありません。



母と私と一本の傘に入って歩いていました。


するといつも遊んでいる公園にさしかかりました。



母は私に



「ちょっとここで待ってて」



と言い公園の中へ入って行きました。



何かな?と雨に濡れながら見ていると



母は公園の中にある木に

傘を紐か何かで縛っています。



そして私の所へ帰ってきました。


「何してたの?」と聞くと


「鳥の巣が雨で濡れてたから屋根を作ったとよ。赤ちゃんがいたよ」と言いました。



子供なので、そうだったんだね、とだけ思って、私達は特にその事を話すでもなく

濡れながら家に帰りました。



今思うと、ちょっと驚きます。



もう一つ記憶にあるのは


これも私が小学生の時。


お墓参りを済ませて、

電車で30分の家へ帰るところでした。


家の近所のいつも降りる駅ではないところの駅に電車が停車しようとした時


母がある人の所へ歩いて行きました。


どうしたのかな?と見ていると


白い杖をついた男性のお年寄りの方の方へと歩いて行くのでした。



何やらその方と話した後、母が私を呼びました。


「ここで降りるよ」


とか何とか言われて、

私もそのおじいさんの所へ行きました。



母がそのおじいさんの手を引いて

いつも降りない駅に私達は降りました。


母とおじいさんの息はぴったり!



そしておじいさんを駅の中だったか、もう少し駅から歩いた所かは忘れたのだけど



おじいさんを見届けてから


私達はまた駅のホームに戻りました。



記憶がないけど、たぶん次に来る電車を待って、それに乗って家に帰ったのだと思います。



傘の時やこのおじいさんの時にしても、

母が



「人には親切にしなさい」



とか何とか言った記憶はありません。



だけど、すごく、この母の行動は私の記憶に強く残っていて



じぶんの目に入った困ってる人、

困ってる動物などに出会ったら、

自分に出来る事してあげること。



そうすると誰かが助かるんだな、

という事は子供ながらに理解したように思います。



私達は助け合う事が出来ます。



目が見えない人の目になることも

足が不自由な人の足になることも

聴こえない人の耳になることも



私は看護師をしてたので

そういう事はしてきたけれど



この母の

「小さな親切」はまた特別なものとして、私の中に刻まれていた事を、

今朝のこの本のお陰で気づきました。



人は小さな親切をすることで

じぶんも豊かになるのだと思います。



じぶんの幸せだけを追求できる時代にある今だからこそ、大切にしたいもの。


昔の日本のような

「私」より「公」を重んじる時代に色濃くあった、


【助け合いの精神】


が今の私たちが忘れた


【心の豊かさ】


の循環を生むのではないかな、

と感じました。



小さな親切の大切さを思った朝でした。



私に出来る小さな親切をやっていきますおねがい




助け合う猫