前回の記事で
3年間お世話になった施設を再訪したと書きました。
一年ぶりくらいに会う方もいらっしゃいました。
そして、ケアホームへ入られた方や
他界された方もいらっしゃいました。
社会学を通して
人生の最後をどこで迎えたいか?
ということを議論したことがあります。
Aging in Place
可能な限り住み慣れた町で
住み慣れた家で年を重ねていくことを
多くの人が望んでいる
と考えられています。
そこから、ナーシングホームへ入ることは
(家族や親しい友人という意味で)社会から切り離されて
孤独になると考える人もいます。
しかしながら、そうでない方もいらっしゃいます。
その人の背景によって、ストーリーは異なるということです。
最近、ナーシングホームに入られた方と親しくされていた方が
その方の気持ちを代弁して
彼女は今、とても幸せです。
と話していました。
その方は今は90代です。
残された家族は、cousin1人。
おそらく、その方もそれなりに高齢なのではないかと思います。
彼女は家を所有していました。
持ち家は、高齢期には重要な資産です。
しかしながら、高齢の彼女は家を所有していることが負担だと感じていたそうです。
そこで、家を処分してナーシングホームに入ることにして
それを、いとこが手伝ってくれて今に至るそうです。
彼女がそもそも裕福であったこと
そして、身寄りがほとんどいなかったので
人々に囲まれたナーシングホームでの生活を
幸せだと考えているのかもしれません。
このようにその人の背景(多様な側面)について考えたり
当事者の主観性を見ずに
何がよいのかはわかりません。
最近のトレンドにもなっている
Age-Friendly Health Systemsの中の
4M's Frameworkの
”What Matters”から
高齢期の生活の質へ拡大解釈したらどうでしょう。
当事者にとって一番大切なこと。
どうしたいのか?
こういった会話が役に立つのではないでしょうか。
早い段階で
Living Willのようなものを検討するのも
人生の終わりの生活の質を考える上で重要な役割を果たすかもしれません。
自分の家族のことを考えた際
それらのことを先延ばしにしてきました。
人生の最後について話すことは
なんだか悪いことのように感じていましたが
むしろ、それは将来に向かって
最良の選択を導く可能性を秘めています。
そろそろ、母が人生の最後をどのように過ごしたいか
(本人が希望する選択)について話す時期なのかもしれません。
私は一緒に住んでいないので
母の交友関係もわかりません。
何か困りごとを相談する人がどれくらいいるのかもわかりません。
そして、最後にどのように家を整理したり
墓じまいをするのか?
若い頃思い描いていた
永遠に続くと思っていた”家族”という概念は
いつのまにか消え去ってしまいました。
私と同じような境遇にある人が
どのくらいいるのかわかりませんが
少子高齢化が世界中に広がる中で
そういった人の心の負担が少しでも軽減できるよう
こういった課題が社会で共有されるようになり
もっと気軽るに誰かに相談したり
話せるような社会になったらよいのではないかと思います![]()
ーーー![]()
Green and Blue Space
特にBlue Spaceというのは
癒しになりますね![]()
![]()






