三島神社だらけの地での

三島神社巡り3社目は

「福岡県 三島神社」で検索すると

一番上に表示されます

この辺りで一番

SNSに力を入れておられる

神社さんのようです

 

蛭池三島神社

2026年3月23日(月)参拝

 
ひるいけみしまじんじゃ
住所:福岡県三潴郡大木町蛭池871−1

私が見かけた看板の神社は

こちらだったようです

鳥の下に山を書いて「㠀」

調べるとこの漢字は

「島」の旧字体にあたり

意味は「周囲を水で囲まれた陸地」

とされます

前記事にも書きましたが

ここ三潴郡大木町は

町面積の約14%が水路という

全国的にも珍しい「クリークの郷」と

云われる所以なのかも

 

HPにはこうありました

 

【「㠀」の説明 】

正式には

三島神社の表記を使用している
本殿の額縁・鳥居には今も遺る古代文字
三は、川の流れより水が浮かび水と読み

㠀は、鳥が山(沼地の小山で片足で休んでいる姿を現す)水沼の文字が隠されている
なお、

水は俗と聖を分け神聖な儀式/場所

への入り口には欠けることなく命の源であります
沼は水を使い、召(神を招く)

刀を使い/口から言霊を発する
その姿は、神憑り・神を降す

自らの体に神を降し神と同化(シンクロ)する
神主の姿である

(天皇の外戚である水沼一族は、女系である)

 

鳥居

神社は蛭池公民館と隣接しています

そちらに車を停めさせていただきました

神橋・随神門

 

トロピカル?フルーティーな幟

 

随神門

 

 image

随神様

 

随神門に鎮座していた神像

 

境内社

 

境内社

 

参道を振り返ったところ

 

 

狛犬

 

拝 殿

 

御由緒

 

延慶元己亥年(えんきょうがんつちのといねん)西牟田彌二郎家綱地頭職(にしむた やじろう いえつなじとうしき)()せられ

伊豆国より當地(とうち)に来り寛元(かんげん)二年庶子(しょし)西牟田筑前守家村(にしむたちくぜんもりやむら)に至り

父の意を継き尊崇(そんすう)されしと云ふ、又伊豆三島神社を當地(とうち)に勧請成したりとも云ふ、明治6年3月14日郷社に被定

社説に曰く、當社(とうしゃ)は五柱の大神を祀り、皇室守護神国家鎮護武運長久神幸福開運神として昔より武将及び一般の信仰厚し

當社(とうしゃ)の縁起は延慶元年(えんきょうがんねん)三潴郡西牟田の領主西牟田彌二郎家綱伊豆国より

入部の時、領地の中央廣池村に氏神伊豆国官幣大社三島神社を勧請し

尊崇殊(そんすうこと)に深く、寛元(かんげん)二年其子筑前守家村此地に館し敬神(けいしん)特に厚く、

創建當時(とうじ)の社地東西八十間南北五十間社領田十五町歩を有し

郷土宮崎治部大夫を大宮司に任し、祠官(しかん)巫女を置き宮司坊を慶雲寺(けいうんじ)

(しょう)し、規模宏壯祭祀厳正(きぼこうそうさいしげんせい)三潴郡南部二十二ヶ村の総社たりしといふ

廣池(ひろいけ)(ひる)(いけ)の古名として神社接績地名(じんじゃせつせきちめい)に慶雲寺及陣内あり、又侍屋敷といふあり、慶仁以後九州の地大小武将興亡常無く神社の境内も自然昔の社地の一部たる現今の所に移るに至れり、

文政年間神主宮崎信敦の代に至り久留米藩の祈祷の神社となる

夏越祭及春夏兩度(りょうど)火淸鳴弦祈祷(ひきめんごきとう)嚴修勤行(ごんしゅうごんぎょう)あり

例祭日:12月15日

神饌幣帛料供進指定 大正4年11月10日

主なる建造物:本殿、幣殿、拝殿、神門社務所、廻廊

境内坪数:540坪

氏子區域及戸数:150戸

境内神社:若宮八幡宮(仁徳天皇、石之日賣命(いわのひめのみこと))、素佐能袁社(素戔嗚命)

 

福岡県神社誌 下巻(8頁)

 

 

 

古文書には、「三島神社が建てられる以前の守り神は境内末社若宮八幡宮で延応以前の産神にして千年以上」と記されている
三島神社が水沼ノ総社と称えられてきた由縁は『日本書紀』によれば景行天皇と襲武媛(そのたけひめ)の間に生まれた国乳別皇子(くにちわけのみこ)を始祖とする「水沼氏」にルーツがある。
古典にも出てくる著名な一族「水沼君」がこの土地を治めていた。明治の頃、筑後一円は「三潴県(みずまけん)」として統合されました。
現在の三島神社が創建される以前よりあった「若宮神社」は(若宮八幡宮)水沼の君の祖霊社として氏神信仰までさかのぼる。
古代より農耕地の宝庫である蛭池に住民の守護の神として地元の方に受け継がれ守られてきました。
この豊かな恵み、自然環境、日常生活を後世に残したく、
水沼氏の末裔である三島神社 宮﨑貞臣宮司が奉仕

御祭神がゑびす神、事を知る神様であることもあり福徳円満皆様の開運、守護を願っています。
西暦 1244年(寛元二年) 西牟田家は〈当時の幕府から派遣された地頭〉は鎌倉幕府の守護の神を祭ってある静岡県三島市にある官幣大社三嶋大社の祭神を勧請して、蛭池村に住民の守護の神として三島神社を創建した。

 

蛭池三島神社HPより

 

 

 

昔は「三潴県」という県があり

明治4年(1871年)~明治9年(1876年)

に筑後国を管轄するために

設置されたようです

 

三潴地域は3~4世紀の古代時代に

有明海の海岸線が今よりもっと近くて

 洪水を繰り返していました

 筑後川から溢れた水が

たくさんの沼を作った湿地帯だったことから

 「水の沼」と書いて「みぬま」と

呼ばれていたそうです

 これがなまって鎌倉時代頃から

「みずま」と呼ばれ、濁点がついて

 曖昧になっていったそう

 ちなみに、さんずいにイノシシと書く

「潴」には「水のあるところ」という

意味があるそうです

参 考

 

肥前狛犬

 

 

御祭神

事代主神、春日大神、住吉大神

八幡大神、高良玉垂命
 

本殿裏

ミニチュアのゑびす様の像がいっぱい

 

 

【元つ宮】若宮八幡宮

御祭神:仁徳天皇(にんとくてんのう)磐之媛命(いわのひめのみこと)

祇園社

御祭神:(あま)(てらす)大御神(おおみかみ)須佐能命(すさのをのみこと)月読命(つくよみのみこと)

愛宕社

御祭神:道君首名(みちのきみおびとな)(筑後守) 

伊弉冉命(いざなみのみこと)火産霊(ほむすび)

五柱の御祭神を描いたもののよう

 

裏側は寅と龍?

 

不明

 

よかったら動画もどうぞ(26秒)

 

 

五七桐紋
 

オンライン授与所がありました

御朱印や御守りなどこちらで

授かれるようです

境内に荷車に繋がれた
シーズー犬が居てずっと鳴いていました
多分、神職の方のお犬様だと思われます
私がお詣りを終えて帰る頃
神職の方もお犬様と共に
帰られていました
無人のように見えても
お犬がいれば
インターフォンを鳴らしてみてください
奥にどなたかいらして
対応してくださるのかもしれません
 
***
 
三島神社だらけの地での
三島神社巡りは3社で終了です
全社巡る根気はありませんでした
 
別日に佐月地方の三島神社へ行きました
つづく