先日瑞穂舞の先生が
筥崎宮の宮司様との会食会を
セッティングしてくださいました
前回は香椎宮の木下権禰宜様の回で
今回は第二弾です
ところが会食会の日程も
出席の連絡も完全に忘れており
前日になって舞仲間から
「行かないんですか?」と訊かれ
慌てて瑞穂さんに申し出ました💦
自分でお店に連絡を入れ席を増やしてもらいました
本当はブログをご覧になっている方に
筥崎宮宮司へのご質問を
募集しようと考えていたのですが
ギリギリ参加になったので
時間が足りませんでした
申し訳ありません(*- -)
会食会の場所は
瑞穂さんが選んで下さった中華料理店
7名と少人数だったため
個室へ案内されました
お料理はどれもとても美味しかったです
私は瑞穂舞に入所して
今年で7年になるのですが
奉納舞のデビューが
2018年10月の筥崎宮でした
当時
現在の宮司様は権宮司をされていて
その翌年2019年4月に
第57代筥崎宮宮司に就任されました
とても気さくなお方で
奉納の時も貴重なお話を
沢山してくださいました
今回はせっかくの機会なので
いくつかの質問を用意して行きました
最初の質問
(博多)住吉神社と筥崎宮は神様的な繋がりがありますか?
なぜその質問をしたかというと
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し
主祭神は応神天皇(八幡大神)
とされています
博多住吉神社の主祭神は
底筒男命、中筒男命、表筒男命
の住吉三神とされています
筥崎宮の元宮とされる
大分八幡宮の御由緒に
「宇佐宮御託宣集の
延喜21年(802)6月1日の件」
が載っていました
※大分八幡宮が筥崎宮の元宮だという説については
宮司様は「そういう謂れですね」と仰いました
『宇佐宮御託宣集』
延喜二十一年六月一日、筥崎神託す。
我が宇佐宮よりは、穂浪大分宮(大分八幡宮)は我の本宮なり。去る二十日辰時を以て、来り着く。今日巳時を以て、爰に来る所なり。其の故は、香椎宮は我が母堂、住吉宮は我が親父なり。我が幼少の当初、志賀嶋を点住して、これに跡づく所なり。夷類を征伐せしむる後、吾出生の時、号を崇めらるべし。我が先の世に、三箇所に居住せしむべき由、所々に有りと雖も、先の世に天下国土を鎮護し始めし時に、戒定恵の筥を納め置く。埋むる所は、彼の父母両所の敷地の中間に、松一本を殖うる、巳に其の璽なり。適生土の上へ、彼の所に居住せしめんと欲ふなりてへり。
私に云く。大分宮は我が本宮とは、欽明天皇の御代、御示現の前、御霊行の時なり。
母堂という表現は
他人の母に対する敬称、母君
の意味だけれど
「我が母堂」と書かれているので
”香椎宮は我が母堂”は神功皇后のこと
であると解釈しました
一般的に応神天皇(八幡大神)の
父神は仲哀天皇とされていますが
住吉神社の主祭神は
仲哀天皇ではありませんから
”住吉宮は我が親父なり”
に疑問がありました
宮司様に筥崎宮の主祭神である
応神天皇の父神は誰なのかを
訊くための質問でしたが
少々、遠回りな質問だったもよう
単刀直入に
「応神天皇のお父様は誰ですか?」という
質問に変えました
宮司様は
「仲哀天皇です」とお答えになりました
そこで私は
「底筒男神が父神だと
いう人もいますよね?」と
踏み込んだ質問をしてみました
福岡の神社研究の方々が
よく読まれている
福岡県久留米市の高良大社に伝わる
玉垂宮神秘書には
仲哀天皇が亡くなったあと
高良玉垂命
(底筒男尊・開化天皇・藤大臣)と
神功皇后がご夫婦となったことが
記されているようです
父神が底筒男神なら
『宇佐宮御託宣集』の
”住吉宮は我が親父なり”
の辻褄が合うのですが
宮司様には『宇佐宮御託宣集』の
内容のことまでは話せませんでした
”戒定恵の筥を納め置く
埋むる所は
彼の父母両所の敷地の中間に
松一本を殖うる”
香椎宮と住吉宮の中間あたりに松を植え
戒定恵(筥崎宮の縁起では御胞衣)
の筥を納め置く
これは筥崎宮のことだと解釈致します
三社の位置関係
その後の会話の中でも感じたのは
筥崎宮のHP等に載せている
縁起以外の異説について
宮司様にお尋ねするのは
失礼にあたるくらい
白か黒かのような主張の強いかたではないと
判断いたしました
とても平和的なかただとお見受けし
それが私にとって答えとなった感じです
従いまして最初の質問は以上ですが
後の質問は当り障りのないものです
また機会があれば他の記事で
紹介したいと思います
質問以外では
祓詞に出てくる
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」
についてお話くださいました
このことについても
一説によると…と控えめな感じで
お話になりました
「地図上で線を引いてみると
全部小戸大神宮のほうを
向いているんですよ
筑紫=福岡
日向=日が出る東ではなく太陽が向かう西
橘=糸島の○○○」うろ覚え
とお話になりました
【小戸大神宮とは】
小戸公園の中ほどにある神社です
天照皇大神、月読命、素戔嗚命、
住吉三神、志賀三神などが
誕生した聖地とも言い伝えられます
なお、神主が神前で祝詞をあげる時に
必ず冒頭に口にする「祓い詞」の中に
「掛けまくも畏き、
伊邪那妓大神、筑紫の日向の橘、
小戸の阿波伎原に
御楔祓へ給ひし時に、生り坐せる
祓戸の大神等」とありますが
筑紫とは福岡を、日向の橘とは日向峠近く
小戸の阿波伎原こそが
今の小戸の浜であると言われています
また、神功皇后の伝説にまつわる「安産石」
「鎧掛けの松」「お膳立て」などもあります
(西区役所HPより)
小戸大神宮2018年11月1日参拝
宮司様が
小戸大神宮を向いている神社は
どの神社のことを仰っていたのか
全てを覚えていませんが
とりあえず
筑前國の「式内社」及びその論社
に印をつけました
並んでいるようにも見えるけど
全てではなさそう
志賀海神社だけは参道と拝殿が
小戸大神宮を向いていることは
わかりました
小戸妙見神社からの眺め
地図を眺めながら色々調べていると
飯盛山と高祖山の間付近に
「日向山」や「日向峠」を見付けました
古地図散歩アプリで
1900年頃の地図を見ると
この辺りは日向といったようです
小戸の辺りは昔
石炭が採れたのですね
筥崎宮の宮司様が
小戸の話をされているとき
新宮の立花山が思い浮かんだので
「糟屋郡に立花山がありますね」と
申し上げました
小戸妙見神社からの眺め
小戸大神宮から立花山は見えますし
立花山山頂からも小戸大神宮のある
妙見岬は見えます
小戸妙見岬
”ちはやふる”は
”かみ”にかかる枕詞である
筑紫の古語に”たつのはえ”がありました
彩雲のことで
後に”ちはや”に略化しました
神代の”たちばな”はその祖語であったと
思われます
(儺の国の星83頁より)
一昨日見たダブルレインボー
”たちばな”とは虹の根が大地に
率直に登る部分の光景でありまして
特に夕日に映えるところから
中の黄が目立たず両側の赤と紫が
一つに滲んで溶け合った
朱に見える現象を云いました
志摩唐泊(糸島半島の東側)
辺りの漁師は”たちばん”或は”たちもん”
などと呼んでおりました
(儺の国の星119頁より)
”たちばな”とは虹や彩雲のような
自然現象のことも指すようです
『儺の国の星』120頁によると
”たちばな”は祓の言葉では
「を(お)と」の冠辞(枕詞)に
なっております
小戸(門)は山脈が左右両岸にそびえ立ち
その間を往古は海流潮流が勢を荒だてて
通ったところでありましたが
年経た今は田んぼに作られて盆地となり
しずかな川が淀むところになりました
土を掘れば至る所に
井戸水が沸き上がってきますから
地形からして
水蒸気の柱が立ちやすくなり
ここに虹の足が鮮やかに
色濃く見えることになります
これが”たちばなのおど”なる
成句(きまり文句や例)が三千年の間
神官によって詠まれ
居会はせる氏子百姓漁師に
何の不思議もなく云い継がれ
聞き継がれて
今日に及んでいるのであります
2020年10月30日小戸の妙見岬にて
小戸妙見神社の宮司様に教えていただき
当時は住吉神社の権禰宜でもあられました
伊弉諾命が禊をされたと伝わる場所で
禊をさせていただきました
「小戸の阿波岐原です」
2020年11月1日小戸妙見神社例大祭で
瑞穂舞の奉納をさせていただきました
小戸大神宮の社務所から
小戸妙見神社へ向かうところ
奉納後に皆で小戸大神宮へ
お詣りに行った帰り
小戸妙見神社での奉納のご縁も
不思議なものでした
この記事を書いているとき
祓詞の場所は
福岡市東区辺りだという説を
唱えているかたを見付けました
邪馬台国と大和朝廷を推理する
興味深いです

















