ロクな写真が撮れていなかったので

記事にしなかったのか当時の心境は不明

スマホ・PCからも削除していた画像を

2年前のLINEアルバムから

引っ張り出しました

 

奈多 志式神社

2023年4月1日(土)参拝

 

ししきじんじゃ

住所:福岡県福岡市東区奈多1236

子供時代

両親が共働きで母は日曜日も仕事

夏休み

どこかへ連れて行ってもらった記憶は

ないに等しい

 

小学生低学年の頃 唯一記憶にある

楽しかった思い出は

奈多団地在住の幼馴染と共に訪れた

奈多浜でのキャンプ

テントを張ってそこで一夜を過ごしました

 

志式神社は玄界灘の奈多浜沿いに

鎮座しています

初参拝のこの日は桜の時期でした

(散り初め)

 鳥居・社号標

 

鳥居をくぐった先の右手にある建物は

常設舞台「志式座」です

明治28年(1895)に

粕屋郡久山町の猪野神社

(現在の伊野天照皇大神宮)から

移築されたもの

 

この日は何も知らず

海の中道からの帰りに

寄らせていただきましたが

この日

志式座で初老賀祭(厄落とし)が

行われたようです

どおりで車が満車だったのか!

私達が伺った時間帯は

何組かの方々が花見をされていました

毎年4月1日の初老賀祭と

7月19・20日の祇園祭で使用されている

志式座ですが

奈多の祇園祭は「万年願」として

一年も欠くことなく

江戸時代以来芝居の奉納が

なされてきたといわれています
 このような農村舞台は

以前は各地に見られていましたが

現在福岡市内に残るのは

この志式座だけとなっています

二の鳥居と奥に三の鳥居

 

神門から拝殿を見たこの感じ

柳川の日吉神社と似ているひらめき電球

 

 

線を引きたくなった笑

二社の経度差は0.00331079999998で

約300mの差はあれど

ほぼ同じといってもいいのでは

偶然かな?

 

 狛犬

とっても笑顔の狛犬さん

 社殿

東向き(西を背)に鎮座しており

西陽の強いこんな画像しかなく

ごめんなさい

 

御祭神

火明神(ほのあかりのかみ) 火酢芹神(ほすせりのかみ) 豊玉姫神(とよたまひめのかみ)

十城別神(そきわけのかみ) 稚武王(わかたけおう) 葉山姫神(はやまひめのかみ)

(福岡県神社誌 上巻114頁より)

 

十城別神(そきわけのかみ) …日本武尊の御子

仲哀天皇の異母弟で

神功皇后とは義姉弟の間柄

 

稚武王(わかたけおう)…日本武尊の子

 

 葉山姫神(はやまひめのかみ)…山背根子の娘で

摂津国(大阪)広田神社の創祀者

神功皇后が難波へ向かう途中の船中で

天照大神の託宣を受け

広田に祀る神を探す際に登場

 

※色々読んだものから抜粋しました

事実かどうかは不明

 

御由緒

11月19日祭典の事実によれば斯社創立千年前の如し

神功皇后三韓進軍の折

此の奈多浜に鎮座される荒ぶる神の御前にて戦捷の神楽を奏して征途につかれた、此の所を神楽岸又は踊坂と伝え当時神功の料理に奉仕した祖先の意志が受けつがれ今日の早魚神事として伝承される。
古は三郎天神と称え、後に志々岐三郎天神と称えたのは志々岐の三郎が勧請合祀した故であろう。明治の代に至り志式神社と改称される祭神は火明神、火酢芹神、豊玉姫神、十域別神、稚武王、葉山姫神で火難、盗難、難産を免れ家運を開く神として広く世に知られる。
正徳5年正月、寫所の「奈多浦志々岐大明神之事」に、聖武天皇の御宇観世音寺建立に当り御本尊を中華の國より運ぶ折、此の奈多沖にて急に大時化に遭い肥前の國五島の志々岐大明神を船中に勧請し祈願した所無事帰国することが出来た。その後奈多の吹上浜に斯の社を建てその横に四尺三寸五分三尺六寸厚さ二寸二分の金の台座の上に赤銅の阿弥陀仏像を祭ったが、天正12年岩屋陣の戦の時島津兵が此の像を盗み帰り后に刀の鍔に改鋳した。之が今日伝わる筑前の阿弥陀鍔の由来である
此の由緒ある神社を永久に世に伝え限りなき神徳を氏子崇敬者と共に讃えむ

 

志々岐の三郎天神は誰のことなのか?

お一人だけ

三郎天神は大幡主であるという答えを

書いておられました

 

 

 

 

早魚神事由来

今より1700余年前(紀元860年)神功皇后征韓の折りこの奈多浜に軍議所を置き水軍の本拠地となし給う時皇后の料理に奉仕した祖先の血を受け大漁満足神恩報謝の心から数え年24才・25才の若者中よりくじで選び、神霊を迎え饗応の奉仕が始められたが魚占とあいまって漁場権優先の競争となり世に云う早魚神事として伝えられるも、今日にては古式を留め神徳の発揚につとめる福岡県神社誌によれば千年来の古典なりと云うこの神事は天神尋ね、神ながらのみぞぎ献魚包丁式ひれ舞いと一連の奉納神楽 誠に古式豊なれば昭和36年11月2日 福岡県無形文化財の指定を受くこの業と伝統を郷人と共に相伝え讃えむ

 

 

 お潮井砂

奈多では奈多浜のお潮井(真砂)を

テボ(籠)に入れ家の玄関口に備え

外出の時身にふりかけて

災厄からのがれる事を祈り

家屋の新築の際には敷地を清め

田畑に撒いては豊作、虫よけを祈ります

この起源は非常に古く

神代に神々が行なわれた禊祓いに基くもの

上矢印この意味は不明

 

 本殿

途中から覆い屋で囲まれています

 

覆い屋の隙間から撮った

赤と青の鮮やかな狛犬さん

割と新しい恵比須様の奉納画

 

 海側の鳥居

境内から奈多浜に繋がっています

 大乗妙典一字一石塔

法華経のひと文字ひと文字を小石に書いて

その小石を埋めた場所に建てられた

石塔だと考えられます

先祖供養や天下泰平、災難除けなどを願い

建てられることが多く

江戸時代に盛んに行われました

奈多浜への入口

 

 奈多浜

 

2020年11月8日

大分県杵築市奈多に鎮座している

奈多宮を訪問しました

ここ志式神社とロケーションも

似ています

 

奈多宮の記事に書いていますが

志式神社と大分県の奈多宮を線で結ぶと

宇佐神宮の奥宮である

大元神社を通過しました

御祭神が同じだという印なのでしょうか

昨夜

X(旧Twitter)にGrokという

機能があることに気が付きました

 

少し前に

Instagram繋がりの☾∴侑子さんが

Grokでイソラ人魚のイメージを

描いておられ

それがよく出来ており魅入っていました

 

下矢印私も以下のイメージで使ってみました下矢印

 

神功皇后が奈多浜で神楽を舞う

 

✧AI による概要

神功皇后が

筑紫(現在の福岡県)の奈多浜で

神楽を舞ったとされる

神功皇后は仲哀天皇の后であり

三韓征伐の伝説で知られています

 

奈多浜で神楽を舞い、神々を鎮め

戦勝を祈願したとされています

鎧バージョン

 

 

 

空に斗極の三星も再現したかったのですが

制限がかかってしまいました

 

志式神社に参拝した2023年4月1日

その2週間後

香椎宮にて

舞の奉納をさせていただきました

当時は志式神社が神功皇后縁の地だと

知らずに伺いましたが

引き寄せられていたのかもしれません

あの日の奉納は天候から何から

本当に神懸っており

素晴らしい記憶に残る奉納でした

 

ありがとうございましたお願い