井伏鱒二の「黒い雨」にも、この作品の第一資料として使われた「重松日記」にも、重松夫妻と姪の矢須子(高丸安子)さん3人の逃避行は焼失した千田町の自宅(貸家)を見てから焼野原になっていた爆心近くを通り、可部線の横川駅から古市へと向かうのに横川駅は利用できなくなっていたために山本駅から電車に乗ったとの記載があるのですが、
この可部線の山本駅というのは1943年10月1日を以って営業休止となっているのです。つまり、原爆投下の1945年8月6日には既に無かった事から長束駅から利用されたか(これも無理)古市まで3人共に徒歩で歩き通した事が考えられます。何故なら私が入手した重松しげ子さんの寄稿文によれば「古市まで歩いた...」とはっきりと書かれてあるのです。この寄稿文が書かれた記念誌は公文としても扱われていますので、創作とは言えないと思います。
尚、3人共に「黒い雨」に接しられた事は云うまでもないでしょう。
2022年8月27日
船橋市海神:弓場清孝

