私の父は48歳で肺癌を患い、私が定時制高校(夜間)2年生の時、49歳で福山市の病院で苦しみながら亡くなりました。

 葬儀の時に近所の人たちの話しでは、「農薬散布が主な原因だろう・・」と言われていました。父は小作農をしていた田んぼで作業中に倒れ、最初に府中市の病院に運ばれたのですが、治療中に関らず病状は進み、福山に転院したものの次第に痩せ衰え、癌細胞は喉まで上がり、痰がからみ呼吸も満足にできず、最後の言葉は「寿司が食いたい」と言ってから息を引き取りました。

 当時は癌治療も満足にできない時代背景もあったのは事実でしょうが、農薬散布に関しても吸引防護の態勢も無に等しいような事もあったのは事実です。

 父は借り受けていた田んぼの農薬散布でも、今のような防毒マスクも無い時代でしたので、手ぬぐいで鼻と口を覆うくらいの防護で、体中、真っ白になりながら散布していました。

 当時、農薬を散布するには背中に散布機を背負い、機械の脇にあるハンドルを回し、もう片方の手で散布機の筒を持ち農薬を撒くのです。いわゆる、掃除機の逆を想像されれば理解できると思います。

 当時の農薬に主に使われていたのはDDTというもので、戦後、進駐軍(GHQ)がチフス予防に持ち込んで、人体に害は無いとされていて、日本政府も安易に、これを認めていたのです。

 下の写真を見て下さい。防護もしていない、子どもたちの頭から散布しているのです。

     

 私が思うには広島や長崎に投下した原爆放射能に飽き足らず、このような蛮行に及んだのだろうとも考えるのです。

 現在でさえ、農産省は無害に近いと言いつつも、ネオにコチノイド系農薬も平気で販売を促しています。農薬による、人体への影響も無視しているのと同然でしょう。

 2019年1月3日

船橋市海神:弓場清孝