昨日(16日)事故調査委員会(福島原発事故)が行なわれていた。

僕は文科省の渡辺科学技術・学術政策局次長が、

SPDEEI(緊急時敏速放射能影響予測ネットワークシステム)の公表が、

遅れたかについて発表したことに半ば分かっていた事だが改めて驚愕した。

なぜならば、3月14日には試算結果がでていたのにも関わらず、先に防衛庁、外務省、米軍には、

情報を提供していたが最も被曝する可能性の高い肝心な福島第一原発を中心にした人たちには

伝えていなかったと言うのである。

その言い訳として、飯舘村などの住民の人たちはネット回線を使う術がなかったのではなかろうか・・

などと、反省もなく、あまりにも福島県民を愚弄した発言をしたのである。

僕は思わずパソコンのキーボードを引っ叩いてしまい、その後、嘔吐感がこみ上げ涙が溢れてきた。

被曝しない方角に避難ができたにもかかわらず、多くの人たちが被曝を強要されたと思っても、

決して過言ではないのである。

そして、なぜ、先に防衛庁や米軍に教えたか、それは過去を遡れば見えてくるものがある。

アメリカで1940年代から放射能人体実験が行われていたことが一般的な注目を浴びたのは、

80年代の終盤から90年代のはじめにかけてのことだ。

それは、「アルバカーキー・トリビューン」の

アイリーン・ウェルサム記者とスタッフの調査報道の成果だった。

日本に投下された一番はじめの原爆を製造するマンハッタン計画の過程で、

放射能の人体への影響を調べるために何万人もの人に無断でプルトニウムを注入し、

妊婦に放射線照射の鉄剤を投与し、

乳幼児に放射性ヨウ素を注入し、精神病患者や精神薄弱児に放射線照射のシリアルフードやミルクを与え、

がん患者をはじめとする病人や囚人に高濃度の放射線を照射していたのだ。

人体実験はそうした弱者を中心に、兵士にも行われたし、

親に無断で病院から運び出した児童の死体を実験に使用したこともあった。

ひとつの地域を丸ごと対象として行われた。1965年に故意にネバダで原子力ロケットの事故を起こし、

放射性物質が空中に蒸発した後、周辺住民や食物への影響を調査するということも行われたのだ。

予想よりも広範囲に汚染が広がり、危険が明確になったという。

米ソの核戦争の恐怖が世界をおおっていた冷戦時代、生命をもてあそぶ者たちが国家を背景に、

秘密のうちに大規模な残虐行為を行っていたのである。

アメリカが最も繁栄を誇った時代に、その裏側では悪夢の人体実験が行われていた。

広島や長崎に原爆を投下したのは被曝した人体を核開発に利用するための一つの手段だったとも

考えられるのだ。その証拠に広島、長崎で被曝した人たちをアメリカまで連れて行ったという確かな

情報も僕は入手している。

そして、『オレはモルモットじゃあない』と叫びながら東海村で

起きた臨界事故で亡くなられた大内さんもその一人なのである。

京大原子炉実験所の小出さんも言っておられるが、

日本が原発を作る理由の一つは平和利用と言う隠れ蓑の中で核開発を進めるための手段であることを

忘れてはならないのである。

次の動画はあくまで、参考として、特に最後の部分をご覧下さい。




今日も『にほんブログ村』クリックよろしくお願いいたします。

(↓画像どちらでもお好きな方をクリック!)
にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 船橋情報へ
にほんブログ村