これは、不特定多数の人が読むインターネットを利用したブログと言う
もので、どのような人が読まれているか、まったく分からない日記である。
そこで、ちょっと振り返って考えてみると、小学生や中学生の頃の日記というのは、
例えば夏休みの日記や冬休みの日記などは、休みが終わると担任の教師などに提出し
教師は、その児童、生徒が長い休み中どのように過ごしたか判断し、新しい学期の指導に
役立てるというのが、本来の目的ではないだろうか・・・と・・
などと、この歳になって改めて思うのであるが、なにやら朝のこの時間(3時)にそのような
事を半ば考えつつこれを書いているのである。
おいらは、パソコンを使ってこれを書いている訳だが、
人様に読んで理解して貰えるような文章では無いという事は十二分に分かってる。
それは、当たり前だ。中学までの義務教育と夜間の定時制高校だけは辛うじて卒業したが
アタマはパッパラパ~の半ば棺桶に片足を突っ込んでいる爺である。
そんな爺だから、我が身は槍でも鉄砲でも、持って来いという心境で日々このような
駄文を書き連ねている訳である。
さて、本題に入ることにする。
おいらは昨日、フォト・ジャーナリストの「樋口健二」さんの写真展と
講演が開催されていたので、茨城県東海村を訪ねた。


ところで、この「樋口健二」さんはどのような人であるのか理解されない方も
おられると思うので、少し紹介させて頂くことにした。
また、最近ではYouTubeなどにも多く出ておられるので、検索されて
動画をご覧になれば良く分かるし、著書もたくさんあるので是非、読んで頂きたいと
思う。
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(以下、ウイキーペディア参照)
*「樋口健二」さんは、長野県富士見町生まれで東京綜合写真専門学校を卒業され、
その後同校の助手を経てフリーカメラマンとなられ1960年代より公害、労働災害、
環境汚染等の問題を追われた。1987年、ニューヨークでの第1回核被害者世界大会で
日本の原発被曝の実態を報告、同じ年、世界核写真家ギルド展に「原発」を出展し、
ベルリン、モントリオール、トロント他でも開催された。
1995年には英国の公共テレビ局チャンネル4のリポーターとして、
ドキュメンタリー「隠された被曝労働 ・日本の原発労働者」において
原子力発電所における労働災害を取材。各地での講演活動も活発に行っている。
2011年の福島第一原子力発電所事故以来、樋口さんの仕事は注目を浴びてきている。

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なぜ、おいらがこの「樋口健二」さんを自分なりに、
この人は評価できる、あるいは信頼できるジャーナリストだな・・と思ったのは
おいらが、元、柏崎、刈羽原発の現場で、日雇いの人夫同然で働いていた
【紛れも無い、事実】の上に成り立っているからであり、
「樋口健二」さんは、原発で働く下請け労働者を、実際に各地の原発に入られ
【被曝労働】の過酷な現実を世に訴えておられるからである。
このような事から、おいらは昨日、過去において臨界事故のあった東海村を訊ね、
樋口さんに生で接してみようと思ったからである。

東海ステーションギャラリーに樋口さんが【JCO臨界事故・翌日の東海村】として、
1999年、10月1日に撮影された約500枚のうち、その中から22枚の
写真を会場に出展されていた。会場に入るや、それをまず観させて頂いた。
数枚、観たところで足が震えだした。
(今はこれ以上、書くことができなくなったので・・。会場内で主催者の方に許可を願い
撮らせて頂いた写真も含め、夕方に持ち越します。)
もので、どのような人が読まれているか、まったく分からない日記である。
そこで、ちょっと振り返って考えてみると、小学生や中学生の頃の日記というのは、
例えば夏休みの日記や冬休みの日記などは、休みが終わると担任の教師などに提出し
教師は、その児童、生徒が長い休み中どのように過ごしたか判断し、新しい学期の指導に
役立てるというのが、本来の目的ではないだろうか・・・と・・
などと、この歳になって改めて思うのであるが、なにやら朝のこの時間(3時)にそのような
事を半ば考えつつこれを書いているのである。
おいらは、パソコンを使ってこれを書いている訳だが、
人様に読んで理解して貰えるような文章では無いという事は十二分に分かってる。
それは、当たり前だ。中学までの義務教育と夜間の定時制高校だけは辛うじて卒業したが
アタマはパッパラパ~の半ば棺桶に片足を突っ込んでいる爺である。
そんな爺だから、我が身は槍でも鉄砲でも、持って来いという心境で日々このような
駄文を書き連ねている訳である。
さて、本題に入ることにする。
おいらは昨日、フォト・ジャーナリストの「樋口健二」さんの写真展と
講演が開催されていたので、茨城県東海村を訪ねた。


ところで、この「樋口健二」さんはどのような人であるのか理解されない方も
おられると思うので、少し紹介させて頂くことにした。
また、最近ではYouTubeなどにも多く出ておられるので、検索されて
動画をご覧になれば良く分かるし、著書もたくさんあるので是非、読んで頂きたいと
思う。
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(以下、ウイキーペディア参照)
*「樋口健二」さんは、長野県富士見町生まれで東京綜合写真専門学校を卒業され、
その後同校の助手を経てフリーカメラマンとなられ1960年代より公害、労働災害、
環境汚染等の問題を追われた。1987年、ニューヨークでの第1回核被害者世界大会で
日本の原発被曝の実態を報告、同じ年、世界核写真家ギルド展に「原発」を出展し、
ベルリン、モントリオール、トロント他でも開催された。
1995年には英国の公共テレビ局チャンネル4のリポーターとして、
ドキュメンタリー「隠された被曝労働 ・日本の原発労働者」において
原子力発電所における労働災害を取材。各地での講演活動も活発に行っている。
2011年の福島第一原子力発電所事故以来、樋口さんの仕事は注目を浴びてきている。

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なぜ、おいらがこの「樋口健二」さんを自分なりに、
この人は評価できる、あるいは信頼できるジャーナリストだな・・と思ったのは
おいらが、元、柏崎、刈羽原発の現場で、日雇いの人夫同然で働いていた
【紛れも無い、事実】の上に成り立っているからであり、
「樋口健二」さんは、原発で働く下請け労働者を、実際に各地の原発に入られ
【被曝労働】の過酷な現実を世に訴えておられるからである。
このような事から、おいらは昨日、過去において臨界事故のあった東海村を訊ね、
樋口さんに生で接してみようと思ったからである。

東海ステーションギャラリーに樋口さんが【JCO臨界事故・翌日の東海村】として、
1999年、10月1日に撮影された約500枚のうち、その中から22枚の
写真を会場に出展されていた。会場に入るや、それをまず観させて頂いた。
数枚、観たところで足が震えだした。
(今はこれ以上、書くことができなくなったので・・。会場内で主催者の方に許可を願い
撮らせて頂いた写真も含め、夕方に持ち越します。)