今日は桜坂劇場に「チョコレートドーナツ」という映画を見に行った。

ゲイのカップルがお隣に住む薬中のママに育てられてるダウン症の子を引き取り、我が子のように可愛がるもゲイである事が理由で養子縁組ができなかったり、子供も彼らを求めてるのに引き離されてしまうという内容だった。

その映画を見ていて涙がとまらなかった。

そして私が人生で一度だけカミングアウトした経験を思いだした。


6年前のある日、私はみんなの前でカミングアウトをする事を決意した。

当時私は看護学校に通う学生で、同じクラスのみんなに打ち明けようと考えていた。

カミングアウト当日、心臓が張り裂けそうな程緊張していた。

みんなの前に立つと緊張してなかなか言葉を発する事が出来なかった。

「カミングアウトしたら今まで通り普通に接してもらえないんじゃないか?」

「理解してもらえなくて、孤独になるんじゃないか?」

そんな不安が常に襲ってくる。

緊張のあまり手や声が震えそうになりながら「実は今日はみんなに話したい事があります・・・」と声をだした。

教室は静まり帰った。

「今まで黙っていたけど・・・
実は・・・わたし・・・同性愛者です」

そう言った瞬間一気に静寂が広がり、みんなが引いているのが分かった。

しばしの静寂の後に皆がザワツキだした。


人が人を好きになる気持ちは極自然な事だ。

対象が同性であろうが異性であろうが「好き」という気持ちはノーマルな感情ではないだろうか?

そもそも「好き」「愛してる」という感情はどこから来るのか?

もともと「好き」も「愛してる」も性の枠を越えているんじゃないかと私は思う。

子を思う気持ち。それは「愛してる」

親を思う気持ち。それは「愛してる」

そこには性別の壁などもちろんなくて、ただ愛してるという事実があるだけだ。

それが恋愛という「愛してる」の対象が同性であっただけでどうしてこんなに責められなければならないのだろう?

「愛してる」という感情は個人から湧き出る感情であり、誰もその感情をジャッジする事はできないはず。

例えばあなたの親しい友人が今日あなたの目の前でカミングアウトしたとする。


昨日までのその友人とカミングアウトしてからの友人は何が違うのだろうか。

ありののままの自分をさらけ出したという事実はあるが、根本的にその人の性格や考え方が変わる訳じゃない。


変わるとしたら、カミングアウトされた側の意識だ。

「まじかよ。どうすればいいんだ」

「まさかだろ?同性愛なんて気持ち悪い」

「もしかして俺ずっとそんな目で見られてた?」

カミングアウトされた側はそんな意識が一気にわきだすのではないだろうか。

悪いけど、こっちにだって好みのタイプってもんがある。
同性愛ってカミングアウトした瞬間から自分が対象になってたんじゃないかなんて凄い自惚れだと思わない?

単に正しく理解してないんだよ。

人を好きになる気持ちは同性でも異性でも同じ。好きになるにも好みのタイプってもんがある。

自分がたまたま同性を好きになった事がないもんだから分からなくて不安にかられるから排除したくなる。

もしくは「好き」という感情は異性に向けるものという固定観念があるから、その枠を破れなくて「間違ってる」と排除したくなるのではないか。


このカミングアウトだが、教育学という授業の一環でクラスの中でいくつかのテーマを挙げ、興味あるテーマについてクラスのみんなへ向けて授業をするというもので行った。

私が選んだテーマは「性別を越えた愛について」だった。

このテーマを選択したのは私を含めて3人。

他のグループは5~6人だったが、私達はたったの3人だったがどこのグループよりも熱かった。

これから看護の道を目指そうとしている私達が差別をしてはいけない。

同性愛の人と仲良くなってほしいとかそんな事ではなく、同性愛の人だって極身近にいる事を理解して欲しい。ただそれだけだった。

どうすれば身近にいる事を理解してもらえるか?

毎回熱く「愛」と「性」について語る中で出たのがカミングアウトだった。

私は今までの人生はたまたま異性が好きで過ごしてきた。でも今後100%同性を愛する事は無い!とは言い切れない。

とてもとても素晴らしい人に出会った時。愛してしまうのはとても自然な事。
それがたまたま同性なのかもしれない。

この先私がずっと異性愛者である保証はどこにも無いと思っている。


私はみんなに身近に感じてもらうために嘘のカミングアウトをした。
それでも私自身本当に不安に押し潰されそうで怖くて苦しかった。


ずっとずっと自分の思いを隠してきている当事者はどれ程辛い思いをしているのだろう。
そしてカミングアウトすると決めた時の不安や恐怖はどれ程のものなんだろう。

自分を隠して生きなきゃいけないなんて辛すぎる。

「好き」や「愛してる」という極自然な当たり前の感情が当たり前に表現できる世界になってほしいと願う。


当事者の苦しみを軽減する事に直接繋がらないかもしれないが、みんなが考えるキッカケになれたらと思い今日はブログに掲載させてもらった。

誰もが誰もと手を繋げる世の中になっていってほしい。

私はピンクドット沖縄を応援しています。

今日はまだ色んな感情を引きずっている。ノンケの私が分かりもしないクセにカミングアウトの事などを欠いてしまってすみません。

私はただただあなた達が当たり前にありののままの自分を当たり前に表現できる世の中になる事を願うばかりです。