【開運メイクアーティスト由美花とは】①
東京生まれ東京育ちの江戸っ子。
血液型がRHマイナスB型であることが密かな自慢の私。
(1000人に1人の割合。地球人でないらしい・・・笑)
フツーな子供だった私が、フツーでない「今の私」になるまで、どのような道のりを辿ってきたのか・・・しばらくお付き合い下さい。
●生い立ち
1969年東京は江戸川区生まれ。祖父は5代目式守勘太夫。(相撲の行司)
長女と長男にはさまれた二女で、あまり自分を出せない性格でした。
一人が好きで、常に想像の世界に生き、絵を描くのが大好きな女の子。
相撲字の名人と言われた祖父の影響で、早くから書道も始めていましたが、他には特に目立つこともなく、あまりおシャレにも興味ない、地味な子供でした。
●交通事故で大ケガ
19歳の時、初めて付き合った彼と原付の二人乗り(交通違反ですよ)をしていて事故に遭いました。
暗い田んぼのあぜ道で、角を曲がる時に車と正面衝突、後ろに乗っていた私は吹っ飛ばされた瞬間、気を失いました。
気がつくと道に倒れていて、大勢の人が私を覗き込んでいました。
飛ばされた私は車のフロントガラスに顔から激突し、バウンドして地面に叩きつけられたそうです。
前歯はすべて折れ、鎖骨骨折、全身62針縫うという重傷。
鏡を見せられた時は、血と砂利と泥でバリバリになった髪と、内出血でアイラインのように縁取られた目、前歯のないまぬけな顔に「コントかよ!?」とツッコミを入れてしまいたくなるほど。
さらに顔に大きく斜めに入った傷。
まるで、漫画のブラックジャックのような顔に絶望・・・。
でも、看護師さんの「女性はメイクすれば隠せるからね」の言葉に、そうか!と救われました。単純な私(笑)
この瞬間「メイク」に目覚めたのです。
ここから私とメイクは切っても切れない関係となっていくのです。
その後二度の形成手術を受けましたが、無くなった前歯はしばらく入れ歯でした。
夜になると歯を取り外して寝てたんですよ~。
現在はブリッジにし、きれいな歯になりましたが。
それからは、まだ傷が大きく目立つ状態にもかかわらず、あらゆる化粧品カウンターをめぐりました。
綺麗な美容部員さんと目を合わせるのは勇気がいったけど、なんせ当時はまだメイクの仕方がわからなかったので、そこで聞くしかなかったんです。
たいていの美容部員さんは困った顔をしました。
傷をカバーするメイクができる人なんて、ほとんどいなかったですから・・・。
でも私はとにかく「普通の元気な顔」になりたかった。
どうすれば自分で顔のトラブルを隠せるのか、研究しまくりました。
そして、リハビリメイクの「REIKO KAZKI」にたどり着きました。
そこは、モデルのような顔を作るメイクではなく、あくまで元気な日常を送るための顔を作るメイクがコンセプト。
また事故や、生まれつき顔に損傷がある人のためのメイクを行っているということも、まさに私にぴったりだったのです。
必死に技術を学び、のちに講師の資格を取得。
カルチャーセンターでのレッスンや、老人ホームでのボランティアメイクを数多く経験しました。
クレームを含むお客様対応もしていたので、女性の美に対する「本当の」悩みや要望をたくさん聞くことができました。
ここでの学びが、のちに「酒さ」(しゅさ)という皮膚疾患になってしまった時に、役立ってくることになりました。
●うつ病になる
メイクを仕事にするまでには、まったく別の仕事をしていました。
学校卒業後、英語を学んでいたことから外国人の多い金融系の会社に勤務。
外国為替のブローカーをやっていたこともあります。
一番長く勤めたのは、霞が関の某中央官庁での電話交換手。
全国からかかってくる代表電話を、ひたすら受ける仕事です。
本当に様々なお話に対応しました。おもしろかったですよ。
ただ職場としては非常に閉鎖的なところでした。
電話交換室というのは、そこだけで国が出来上がっているような、まるで大奥のようなところ。
今だから言えますけど、人間関係も結構荒れていまして・・・
小さいころからイイ子でいようと、言いたいことをはっきり言えない性格。
トラブルに巻き込まれたくないので無理して明るく、ものわかりのいい人間を演じ続けていた私。
ある日突然、職場へ行けなくなりました。
「うつ病ですね」と診断された時、なぜかちょっとほっとしたのを覚えています。あぁこれで休めるんだと・・・。
この休んでいた時期に、精神とか心理とかいうものに興味が出てきたんです。
「休職」を目いっぱい使って、色々な本を読んだりしました。
でも、うつから脱却できたのは本のおかげではなかったです。
通っていた精神病院で、入院していた患者さんのなんとも言えない様子を間近に見てしまったから・・・。
その時「私は絶対ああいう風にはならない!絶対治す!」と誓ったんです。
すると、急速に回復していきました。
私は自分の「思い」で治したんです。
それからめでたく?公務員を退職、しばらくは両国の老舗甘味屋さんでバイトさせてもらったりしました。
結構有名なお店だったので、テレビや雑誌の取材もよく来ました。
お店紹介でちらっと映ったこともあります。
舞の海にパフェを出す後ろ姿だけですけど(笑)
この間がリハビリとなり、私の完全復活となりました。
・・・その2に続く。