こんにちは
まほろです
私のblogにご訪問くださり
ありがとうございます
築95年の夫の実家をリフォームして
行ったり来たりのニ拠点生活をしています
実家のリフォームにまつわるアレコレや
日々の暮らしで思うことを綴っています
初めての方は
プロフィールをどうぞ→ ❤️
今日の夕日
当たり前のありがたさ
今月、我が家の給湯器が壊れました。
家を建てて以来使っていた給湯器。
もう18年も使って、寿命だったのです。
すぐにガスの業者に来てもらい
取り替え工事までの間の十日あまり、
仮の給湯器で凌ぐことになりました。
それでお湯は出るようになったのですが
床暖房は使えないし
お風呂の追い焚きができません。
いつも慣れていたものが使えない不便さ。
ああ、いつも
なんと便利な生活をしていたことか。
使えなくなって気づく便利さ。
便利さに慣れていたのは、
人間だけではなかったようで・・。
犬も毎日、床暖房で
ぬくぬくお昼寝をしていたのに
床が冷たいままで調子が狂ったのか
体調を崩してしまいました。
朝起きると元気がなく
餌を食べずにじっとしています。
私と娘がかわるがわる犬の腰や背中を
手のひらで温めてハンドパワー?を送ったり、
こんな時には食べられるものを食べたらいいよと
好きなおやつを少しずつあげていたら
夕方には段々元気になっていきました。
当たり前のありがたさ
先日、やっと新しい給湯器がつきました。
新しくなったパネルや
外出先からも設定できる機能に戸惑いつつ
追い焚きできるって
こんなに便利なのかと、感謝感謝。
「ある」時には当たり前に思っていても
「ない」となると途端に気がつくありがたさ。
時間も、お金も、健康も、環境も
なんでもそうではないでしょうか。
つい、あることが当たり前になって
ないものばかりを追い求めてしまう。
今あるものに目を向ければ
数え切れないほどの「ある」があるのに。
それに気付けるかどうかが
幸せを感じられるかどうかの
分かれ道だと思います。
幸せな人は、たくさんある人ではない。
既にあることに気づいた人。
気付けなければ
いくらあっても幸せがわからない。
給湯器のことがあってから
宅急便が届くことも
電車に乗れることも
スマホが使えることも
犬が元気でいてくれることも
つくづくありがたいなあと感じます。
この便利な社会の当たり前は、
社会を作ってきた人、
動かしてくれている人たちの
上に成り立っていて
その社会の一員として
生かされていること自体が
有難い。
わたしたちには
既に与えられているものが沢山あって
それに気づきさえすれば
毎日が幸せです。
幸せは、
自分が気づいて
自分で感じることなのです。
時々思い出して噛み締めないと
忘れてしまいそうなので
今年も穏やかに年を越せることに感謝して
自省を込めて書いてみました。
当たり前に、ありがとう。
ありがとうございました



