年末といえば、1年を振り返る時期。
でも、私は年末年始で、
過去13年間を振り返っていました。
(そんなわけで、更新も減っていました。)
どうして私がこんなにも勇気づけのもつ
可能性に希望を抱き、
お伝えしようと思うまでに至ったか。
お伝えすることで、読んでくださる方に
どんな未来をお届けしたいのか。
それが、この13年間に
ぎゅっっと詰まっています。
【勇気づけ講師を始めるまでの13年間のヒストリー】として
いくつかのストーリーに分けて
書いていきますね。
2019年は、活動を広げていきたいと思っています。
読んでくださる皆様に
希望の光が届きますように・・・✧.。+:*°*:.✧.˖˖*°
よかったら、最後までお読みください♡
*
*
*
大人っぽい女子と元気いっぱい男子。
4年生の可愛い子どもたちに囲まれた
教員生活のスタート。
良いところはたくさん褒めて、
いけないことは怒りを使わず、
諭すように叱る。
休み時間は一緒に思いっきり遊ぶ。
思いっきり遊んだ分、
メリハリをつけて授業に臨む。
教師主導ではなく、
子どもたちの対話が授業を、
学級を作り上げていく。
自分で考えて行動できる子どもたち。
なんでも相談してもらえるような教師と子どもの信頼関係。
そんな理想を思い描いていた。
(めっちゃキラキラした理想!!
でも理想を持つことって大事だと思う。
今の理想とは違うけどね。)
だけど現実は・・・・
トラブル多発。
いけないことをして、叱っても、
また繰り返す。
むしろ月日が経つにつれ、
思うようにいかない。
良いところなんて、
見つけて褒めても
すぐかき消されてしまう。
子どもと信頼関係が築けない。
(信頼してくれた子たちも
もちろんたくさんいます。)
「もっと厳しくしたほうがいい」
そう保護者からクレームが入る。
厳しいって何だろう?
子どもが先生怖い!!言うこと聞かなきゃ!
って思うような指導?
怒鳴ることもした。
大きい音を出して、
恐怖を植え付けようとしたこともあった。
「これくらい本気なんだぞ」
「ここからは譲れない」
という思いで正当化して・・・。
待って。それって違う。
恐怖を使った指導じゃダメだ。
本質的に「いけないことはいけない」と
理解してもらうことが大事だ。
でも・・・
やっぱり男の先生が入ると
静かになる。
じゃあ、その先生と同じように
やってみようか。
それでも、うまくいかない。
そりゃそうだ。
放課後は、保護者からの電話で
授業の準備どころではない。
気付けば19時頃になり、
早く帰りたいと焦るばかり。
21時22時まで残る毎日
そして色々な保護者と
何度も話し合う日々が続く。
毎日メールのやりとりをすることもあった。
夜に帰宅すると
保護者から電話があったと
母から聞かされる。
22時に保護者と電話。
私は泣きながら、謝りながら
保護者と話した。
(当時は連絡網に自宅の電話番号が記載されていた)
どうして変わらないんだろう。
どうして良くならないんだろう。
「今のままじゃまずい」
管理職の言葉がきつかった。
我慢と忍耐の毎日で、
早く3月が来てほしいと
思ったこともあった。
本当に苦しかった。
子どもを変えようと必死だった。
辛かったことばかりじゃない。
もちろん、よかった出来事だって
楽しかった出来事だって
たくさんある。
でもやり残したこと、後悔が
たくさんたくさん詰まった1年目。
できていないことばかりに
(自分にも、子どもたちにも)
意識が向いてばかりだったあの日々。
今思えば、
不適切な行動を繰り返す
子どもたちこそ、
苦しかったのだ!
そして
そのお母さんも、
相当苦しかったはず!!
と思わずにはいられない。
学校から責められ、
保護者から責められ。
言葉には出さなくても、
学校から連絡がいけば、
「あなたの子育てはダメです」
って言われているような
気分になってもおかしくない。
私だったら、そう感じてしまう!
(今思い返していても涙が出てくる・・・)
だから、
私が今小学校教員をしながら、
アドラー心理学の勇気づけを学んで
こうしてお伝えすることを
仕事とすることに決めた原点は
この教員1年目にあるんじゃないかと思うのだ。
勇気づけを知っていれば、
「絶望を希望に変えられる」
そう確信しているから。
*
*
*
【勇気づけ講師を始めるまでの13年間のヒストリー】
年度末で雇用終了。私に押された烙印とは・・・。膨れ上がる劣等感。 へ続く。
↑↑
クリック





