前回から、桂川に架かる久世橋の両端・吉祥院と久世の話になっています。
このあたりが、京都西南部の境界=坂ではないかと私はみています。坂と言っても、沖積平野のど真ん中で傾斜はほとんどありませんが。
今回はこの近辺を概観しておきたいと思います。
上の図は、ちょっと別の用途に作ったもの(基図は国土地理院2万5千分の1図)で、①から⑥までの番号については今後触れることがあるかもしれませんが、気にしないでください。
地図の北東から南西に向かって折れ曲がりながら通っている赤い線が国道171号線です。中央を北から南に流れているのが桂川ですね。
国道171号線が桂川を渡るのが久世橋です。橋の東詰めあたりが吉祥院、西詰めのあたりが久世、両サイドとも今は京都市南区です。
国道171とつかず離れず通っている黒く塗った道が、旧西国街道です。久世橋がなかった頃は旅人は渡し舟で渡河していました。
今回一つだけ番号がついた地点を紹介しておきますが、⑥は吉祥院天満宮地点です。
ここは祭神・菅原道真の生誕地と伝えられ(異説はいろいろありますが)創建は北野天満宮より古い934(承平4)年とされています。
道真の祖父・清公が遣唐使船で唐に渡った際、吉祥天女を信仰していたお蔭で海難から逃れられたと信じ、帰国後邸内に吉祥天を祀った(吉祥院)のがルーツで、このあたりの地名・吉祥院はここからきています。道真の死後彼の怨霊を慰めるため天満宮にあらためられました。
境内の掲示板にいろいろなポスターが貼られていますが、二つ注目しておきたいと思います。まず左上端。吉祥院(吉祥天女社)とありますが、「吉祥院」というのは「お寺」としての名前です。吉祥天というのは毘沙門天とか弁財天と同じく仏教の守護神である天部(てんぶ)の一つです。仏教的にいえばこのお堂の「本尊」ということになりますね。
「吉祥天社」というのは神道としての呼び方、つまり神社・お宮さんです。この両者が合体したお堂が境内に本殿とは別棟であり、そこには何と孔子さんまで祀られているという神・仏・儒混交のお堂です。日本人の信仰の在り方の一端を示していますね。
西国街道は天満宮の少し北を通っていますが(上の地図参照)少し回り道して参拝した旅人も多かったでしょう。
もう一つは、「春季大祭」のポスターに記されている「六斎念仏」です。
吉祥院六斎念仏は、四月二五日の春季大祭と、八月二五日夜に境内の念仏堂で上演される芸能で、地域の人たちが伝承しています。これについてはまた触れることがあるかもしれません。
↓ 吉祥院天満宮念仏堂。 年二回六斎念仏が上演される。
さて、旧西国街道はいまどんな感じなのでしょうか。
上の写真は吉祥院天満宮から少し北西へ行ったところを通っている旧西国街道です。
旧街道の面影が少し残っていますね。これを西へとっていきましょう。
しばらく行くと、「西之茶屋」ーこれも旧街道に関係がありそうな地名ですねーというところに「日向地蔵」というお堂をみつけました。
このお堂についてはまだ調べていませんが、今も地域の人たちが大切に維持されているようで、詳しいお話を聞くのが楽しみです。
ここを過ぎてしばらく行くと、また少し古い家並みが残る一画があり、まもなく桂川の浜に出ます。
久世橋の東詰めに出ました。
昔はこのあたりの浜から渡船が出ていたのです。
吉祥院というところがどんな感じか、少しわかっていただけたでしょうか?
まだちょとだけ、ですが・・・。
では今日はこんなところで。次回は桂川を渡って久世界隈を歩いてみましょう。









