岩倉の精神科病院で開放医療が本格的に始まったのは、1970年代に入ってからです。

 本連載・狐坂シリーズ補遺で紹介した崔秀賢医師ら、開放医療をめざす若手の医師6名が、いわくら病院に赴任したのがきっかけでした。

 それ以前は、病室の窓の鉄格子が象徴する閉鎖的な環境だったのですが、「患者さんを閉じ込める」というのが前から普通に行われていたのかというと、そうではなかったのです。

 近世の大雲寺参籠者を対象とした茶屋、近代の精神科病院と共存していた保養所は、ともに開放、地域住民との共生を原則とする施設だったと思います。

 

      ↓ 北岩倉大雲寺 (『都名所図会』 天明六・1786年刊より) 日文研データベースより。

      「こもりや」と記されている藁葺き?の建物が、近隣農家が経営していた茶屋。

     画面左下には現在も残「不動瀧、智辯水」が記されている。本堂があるあたりには、現在北山病院

     の病棟が建っている。

 

 近代の保養所(敗戦頃まで存続)にいた患者さんは、薪割りや風呂焚き、洗濯などの家事を分担していましたし、近所を散歩するのは普通の日課だったと思います。

 下の写真は村松保養所に保存されていたもので、いろいろなところで紹介されているのでここでも引用させていただきたいと思います。

 保養所の庭で多くの人たちが作業していますが、中央で「洗張り」をしているのが保養所の奥さん・村松照子さんだと思います。その廻りで手伝っていたり、奥で薪割りの作業をしている人たちに患者さんが混じっているというか、どの人が保養所の人でどの人が患者さんかわからない状態ですね。

 

 

 またラジオ体操をしているところや、散歩風景の写真も残されていますが、患者さんたちの表情は明るいです。もちろん、精神病を患っている人たちなので、調子のいいときばかりではなかったでしょうが・・・。

 しかし、精神障害者は何をするかわからないとか、怖いとかいうのは、普段身近にそのような人がいないために生起する偏見だと思います。「健常者」の中にも、一つ間違えば何をするかわからない人がいるし、一旦キレれば怖い人もいますよね。

 岩倉の人たちは、古くから身近に精神障害者がいたので、元々そのような偏見が生まれにくい環境だったと思います。

 しかし、1970年代にいわくら病院の若手医師らが始めた開放医療は、近隣地域にさまざまな波紋をもたらしました。たとえば、家人が留守の間に患者さんが上り込んで、冷蔵庫の中のものを勝手に食べたとか、年配の女性患者がある家を自宅だと思い込んで繰り返し来たり・・(「いわくら病院年報 第6号」 2010年 より)。

 1984年に地域の氏神である石座神社の境内で、女性の患者が手首を切って自殺未遂事件を起こした時、「神聖な境内を血で汚すとは・・」と地域の人たちの不満が爆発し、病院の開放医療に対する抗議が堰を切ったように寄せられました。

 

         ↓ 石座神社境内。毎年10月23日に近い土曜日、ここで火祭りが行われる。 

 

 1985年3月、岩倉地域開放医療対策委員会、岩倉自治連合会連名で、「開放医療に対する申し入れ書」が出されました。この中で、「開放時間の制限」など10項目の要求がされたのですが、「開放医療をやめよ」とは言っていないのです。

 「今後の開放医療については、地域住民の不安感の除去と生命、財産を保護するため下記事項を完全履行し、地域住民から理解され、信頼される開放医療を行うことを誓約されたい。」と記されています。

 これに対し病院側は、「回答書」のなかで「精神科病院の医療には、次の内容が伴わなければならいと考えています」として、

 1、病院のふんいきが人間的で、あたたかなものであること。

 2、入院患者の市民的諸権利(通信・面会の自由、プライバシーの保持、人間的欲求の適切な充足etc)が大切にされていること。

 3、社会との交流が活発になされ家族や職場、或いは生活している地域との関係があたたかく保持されていること。

 をあげています。そして、「この間、開放医療をめざす医療活動のなかで私たちの配慮がたらず、地元住民の方々に、多大のご負担をおかけしたことについて、真剣に反省し、その上に立って地元住民の方々に共感を頂けるよう最善をつくす所存です」と述べ、地域巡回の強化など、具体的な対応策をあげています。

 これらに基づき、1985年6月21日付けで「岩倉地区における開放医療についての協定書」が交わされ、この内容はいわくら病院だけでなく三幸会の北山病院、第二北山病院とも共有され、現在に至っているのです。

 このように見てくると、現在の岩倉での精神科病院開放医療は、やはり同地での精神障害者受け入れの長い歴史があったからこそ可能になっていることにあらためて気づきます。

 

     

   ↑ いわくら病院本館横にある喫茶・イマジンの案内。道の向こうは実相院の塀。

  ↓ 三幸会ふれあいまつりり風景(空手の実演)。子どもたちなど、毎年多くの地域住民が

     参加する。

 

 岩倉での精神科病院開放医療の取り組みは、病院と地域社会との共同作業であり、岩倉で昔から続いてきた地域での精神障害者受け入れの歴史の、現在における新たな展開だと言えるでしょう。これは坂=境界は死んでいないし、坂の再生・更新の姿の一コマとしてとらえていいのかなと、私は思うのです。

 今回はここまでにします。ではまた。