11月15日、歌舞伎座昼の部は、十三代目市川團十郎白猿丈が勧進帳を演じて、通算300回となる記念の公演になったそうです!心からお祝い申し上げます。


たまたま今日いらした友人がふたりいて、私は通院日、たぁっぷりの待ち時間も勧進帳を読んで脳内観劇しつつ、感想も聞け記念日をともに楽しみました!


ニュースを知らせてくれた友人にも感謝です。




今月は初日しかまだ昼夜みておらず、勧進帳のことも書きたく思ってました。


数日前に渡辺保先生の劇評もでて読み、同じ気持ちでもう嬉しくて嬉しくて。



こちらとりあえずリンクしておきますが、かみしめて記録しておくつもりです。 


わたしは歌舞伎歴浅いので、團十郎さんの勧進帳をみることができたのは、こちらの全国巡業の最終地、浅草公会堂ででした。


長年専業主婦でしたから自分の趣味は家でできることに止まっていたので、家を開ける発想なく、歌舞伎座の昼の部は行っても夜の部は諦めてました。(最初の数ヶ月ですが😅)ましてや、地方公演に行くなんて考えもせず、でも、安宅の関での勧進帳の記事の載ってる月刊誌は買ってすごいなぁ、みてみたかったなぁと羨望の眼差しで眺めていました。






その後、小松在住の友人もでき、安宅の関はもちろんのこと、実盛ゆかりの地でもあることも知ることができ、来年3月4日から始まる襲名披露巡業の初日は「團十郎芸術劇場うらら」から!これにいけたら、夢がまたひとつ叶うことになります。、、



勧進帳を追いかける、、旅もついに始めてしまいました。市川團十郎白猿襲名を控え、海老蔵として最後の「勧進帳」を披露するとあって、こちらの公演の南座に行きました!


南座も初めてでした。歌舞伎を地方の劇場に見に行く遠征というものが初めてでした。團十郎さんの弁慶に魅了され、海老蔵で最後の弁慶を見届ける!ことに夢中になっていました。


武蔵坊弁慶役を海老蔵に、源義経役は中村児太郎、富樫左衛門役を市川右團次が勤め、児太郎が天女役を演じる「羽衣」が併演されるのも児太郎贔屓ですから遠征する強い動機になりました。



初めての南座は少々お席が狭く少々窮屈に感じました。







コロナが蔓延しはじめ、中止になった博多座公演が二月ぶりに開催されたときには、飛んでいきました!この公演も一泊でしたが博多も忘れられない思い出になりました。



博多座の勧進帳がまた素晴らしかった!右團次さんの富樫と息のあった、双方の熱量半端ない、超難関の関越え、、激しくも温かい安宅の関、勧進帳でした。児太郎の義経も、こんなに適した人はいないと思いました。


今月の勧進帳、團十郎の弁慶は、これまでみた弁慶の延長線上にあり、皆様の賞賛の声に、え?ご存知なかったの?とちょっとだけ思いました😊。海老蔵時代の勧進帳の積み重ねが、当月歌舞伎座の舞台で、ご襲名にふさわしい輝きを放ち、團十郎家と古より深い縁、かつ近しいご親戚でもある幸四郎家のまさに幸四郎丈の富樫、成田屋門下の澤瀉屋猿之助丈の義経、市蔵の常陸坊海尊に巳之助、染五郎、左近、、かつて三之助が並んだように感慨深いものがありました。


後見が斎入さん、升吉、新八。

長唄囃子ご連中にも、大好きな巳太郎さん、小間蔵さんはじめ立て唄、立て三味線が二組、何十人もが居並ぶ超豪華版。


後ろの鏡板の松も当月より新しく描かれたものが使われているそうです。


猿之助丈、義経の水衣が肩上げになっていました。初めてみるので驚き、調べたりしてました。古い型では、みな衣の袖をくくりあげていたそうですが、7代目幸四郎、6代目菊五郎は袖を下ろして演じたそうです。


お能の水衣は、一般庶民のお役の表着で、作業中などは(義経の場合は旅中?ってことかしら)両袖肩上げにする、、そう。山伏は縞水衣と決まってるけど、弁慶は主役、、七代目も九代目も工夫を重ね、今の型は、明治32年(1899年)九代目團十郎が弁慶を演じたとき以来の型だそう。


わたしに勧進帳の面白さを教えてくれたのが、当時海老蔵の團十郎さん❣️そして、見ればみるほど、知れば知るほどみたく知りたくなるのが勧進帳です❣️興味尽きず、、話し出したら止まらず、またまたのなりゆきまかせの長文駄文ですみません。ですがこのまま投稿させていただきます😅