悲しみの中の自分 | sakuraのブログ

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毎日3匹の猫とまったりな私です。

メンタル凹みのブログです。
気分が滅入るといけないので、飲みまくない人は読まないでね。

最近の趣味と言えばブログを読むこと。

ずっとブログを読み続けてた
しのちゃん、っていぬ。

突然に他界した。

がんばれ!がんばれ!ってずっと応援してた。

くうちゃんにそっくりな、くうちゃんって猫がずっと介護猫としてしのちゃんを支えてた。

どんなに大切にしていても、どんなに逝かないでと懇願しても、順番通りならば、動物たちは先にいく。

ブログみて、よその子なのに、我が子のように泣いてしまった。ブログのオーナーに初めてコメントもした。
いつもは読み逃げなのに、抑えられず介護を頑張った彼女にもう少しなにか出来たとか、もっと早く気づいてあげれればとか、自分を責めないで、頑張った自分を褒めてあげてと。

ココ最近はチコとの時間を大切にするあまり、5帖の部屋で、仕事以外の時間は一緒に過ごす。

北側の部屋で、太陽が差し込まないので、時々ベランダでチコをだっこして風にあたる。

時間があると、あることないこと考えてしまう。
14年の間、私の全てだった猫達が、1匹、1匹といなくなり、気付けばチコだけになってた。

そのチコも体調は不安定で、1日の大半を私のベットの上で過ごし、私と一緒に眠る。

この子のために、この子のためにと、気を張ってる今はいいだろう。

居なくなった時の自分が果てしなく怖い。
覚悟などできるわけもない。

自分の子供が逝くのと同じだ。

恋人との別れも、愛しい者との別れも、置いていかれる方が、いなくなる者より数倍も悲しい。

以前に兄に、母がガンで入院してる時に、母が大切にしていた猫を捨てた。
父が世話ができなかったからだ。

理解できなかった。
でも兄には私が理解できなかったのだろう。
人間と猫とどっちが大事なんだと言い放った。
どちらが大事?
比べたことも考えたこともなかった。
私には母の猫も、母同様大切で愛おしい者。
母は生きているのに、なぜ、母が悲しむことをしたんだと兄を責めた。
兄には母が悲しむなんて思いもせずに、父が大変な事が気がかりだったのでしょう。

方法はもっと沢山あったはずなのに、選択は捨てるだった。

猫のために生活の大半を費やすことも、病院にありえないくらいのお金をかけるのも理解できない人には理解できない。

だからって誰に何を言われてもブレる感情でも、なんとかなる感情でもなく、私は区別なく愛おしいのです。