一年後には「村上先生、課題とか居残りとか多いからヤダ〜」とグチっておりました(笑)。







・・・白川先生から教えて頂いた事を、家に帰ってすぐ母に伝えました。





私「学校に行って来た。しょうたね、言葉の教室の先生に家であった事全部話していたよ。

りくに暴力を振るった事とか、それで本家て寝泊まりしてたこととか・・・」




母「!!!・・・そう・・」




私「それで、心配して担任の先生にもしょうたの事を"注意して見ててあげて欲しい"と言ってくれてたんだって。

りっくんに暴力振るった後の時、すごい暗い顔して入ってきたから"どうしたの?"って聞いたらしょうたが話したんだって」



母「・・・・」




私「普通だったらね、こういうのがあると不登校になってしまったりするんだって。でも、おじいちゃんおばあちゃんが本家にいて、あと言葉の教室で先生に色々と話せてたのが良かったのかもしれないですねって言われた」


 


母「うん・・・」




私「"パパは部屋でずっとゲームしてる"っていうのも、言ってた」




母「!!!・・・そう・・」





私「・・・もうね、モラ夫さんと一緒に住むのは無理だと思う。

DV相談所でも言われたけど、私もモラ夫さんは普通の心療内科とか行っても無理だと思う。

一緒に住むなら『加害者プログラム』にちゃんと通って、しかも自分のお金で。自分で稼いで払って加害者プログラムに行って、それが終了したら"一緒に住んでもいい"とモラ夫さんに言おうと思う。」



母「うん・・・そうだね。普通の心療内科ではダメだね・・」




私「(!!!・・・よし!!グー)」




ようやく、母にわかってもらえました。


やはり"孫"が学校で家の事、モラ夫の事を先生に話していた事が母もショックだったようです。



りくの時は個人面談の時に、幼稚園の土屋先生から言われてましたからね。






コレらを含めて、母も"モラ夫は家族にとって害である"という事がわかったんだと思います。



コレでやっと、離婚へ一歩近づけました。




・・・とは言っても、まだこの時は言ってた通り離婚は最後の手段で"『加害者プログラム』の事を言って、モラ夫がそれを終了したなら一緒に住んでもいい"という考えを私は持っていました。

 

"子供達と離れたくない、一緒にまた住みたい"と本気でモラ夫が思っているなら、なんとしてでも通うハズだと。

通うとしても、私からはお金は一切出さないし、義母からも借りずに自分で稼いだお金で行って欲しいと思っていました。


それらの希望をこの時は"まだ"持っていました。




でも結局、この『加害者プログラム』の事をモラ夫に言うことはありませんでした。


もう、それ以前の問題でしたw