「どうせ」という言葉は嫌いだった。

「どうせ」という言葉を言うことが呪いの言霊となり
人生が悪くなるという恐れに縛られて使いたくなかった。

「どうせ」という言葉を言わないことで
不平不満の現実を地中奥に埋め込み、空回りのプライドだけで幸せな人を気取ることができた。

「どうせ」は
抗えない現実を
抗うだけの力もない非力な自分を
周りに悟られないように
少しでも強く見せるために

「どうせ○○だから」を言うことで

本当は諦められないくせに
欲しいくせに
無理して自分を納得させる言葉と思ってた。

ひがみや拗ねに直面しなくてすむ都合のいい言葉と思ってた。

「どうせ」は
続く言葉は決まってネガティブな言葉がほとんどで
だから口に出したくなかった。

苦しかった時に知った心屋じんさんの魔法の言葉

「どうせ、愛されてるから」

は「どうせ」の解釈が違って、だからこそびっくりした。

「どうせ」は
ネガティブな言葉しか当てはまらないと思ってたから。
こんな使い方があるんだと目から鱗だった。

「どうせ、愛されてるから」

半信半疑ながらも口にしたり、心の中でもつぶやいてた。

そうすることで気持ちは軽くなって、悲しい気分に沈んだままにはならなかった。


だけど一番肝心なことを忘れてた。


理不尽なことに上手く対応できなくて、悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、思いっきり罵りたくて、

やり場のない気持ちを吐き出さないといけなかった時でさえ


「どうせ」を言うことが負けを認める気がして

「どうせ」を言ったって何も変わらないと思って

「どうせ、愛されてるから」を口にしたら上手くいくものと勘違いした。

口にしたら、愛されてるということに気がつけると思った。


続く