わかる〜って思うことあるでしょ? | 100%で”私”を生きるスピリチュアルライフ

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最近、深く理解する、腑に落ちる、納得する。と言う感覚が増えてきました。

脳みその中で単に知識として知っている感覚と上記の感覚は違います。


知識がある事は知っているだけで体感したことにはなりません。


それは想像が出来ても体験しないと経験にはならないことと同じ。

だから体験してないけど知識があるだけで、「それ、わかる~」 は、嘘の反応です。

そんなの当たり前じゃん。

なんて思う人多いと思いますが、実は大半の人が陥っている状態です。


例えば、この世には”常識”という言葉あります。

”常識”とは社会の中で当然のこととして共通に認め認識している意見や判断。それは時代の流れと共に自然に確立されるものである。

でも”常識”って誰が決めたんでしょう?

よく使われる言葉、”普通”って何をもって普通なのでしょう?

あなたの”普通”と、私の”普通”は同じであるとどうして言えるのでしょう?

誰の物差しで何を基準にそれは決まるのです?

こうしてみると、???マークだらけになります(笑)

でも、常識という言葉も事柄も、何度も何度も耳から入り、目の当たりにしているために、人々はそれが”当たり前のもの”、”わかっているもの”としてとらえています。
しかし個人によりとらえ方が違うために、全く100%イコールで認識、想像、体験することは不可能なのです。

だけれど、物事を経験し、見る目を養い、自分を向上させると、体感が伴うのです。
そこで初めて、「そっかーーー!!!」と脳みその理解を超えたものが体を通り抜けるのです。

そのきっかけもまた個によって異なることは言うまでもない。


こうして、体験体感したことと言うのは脳みそから記憶として亡くなったとしても、生涯魂や体として忘れることがない。
なぜなら納得したことだからです。そこに1mmの不安も疑問もないからなのだと感じます。


人と話す時に、同じ内容、事柄について話しているはずなのに、相手が理解していないなと思うことが多々あります。
そこには、言葉の理解以外に、上で話をしたギャップがあるからなのだと最近気づきました。

こうして言葉にするまでに少し時間が必要ではありましたが(笑)
(なぜなら体感できても脳みそでどういうことなのか、一番しっくりくる説明に変換するのに時間がかかったから)

実際体感を言葉にするには限界があります。
感じたことがすべて言葉に表現できるわけではないからです。

でもまぁ私なりの体感したことの近い理解なのではと。


自分がどういう理解をしているか見て見るのも、なにか新しく発見するきっかけかもしれませんね。