※これは2019年の私。今読むと、我ながらダサかわいい。
昨日のお餅つきの流れから思い出したから書いてみます
過去の私は自由でいたかった。
もちろん今もそう。
でも、、、自由になるためには
こうでならなければならない。
(お金がないと、環境がないと、などなど)
そういうのが、
昔思ってたのと今は全然違う。
2019年のこの記事には
自由でいたかった。
だから私はずっと、
この町に愛着を持ちたくなかったって書いてる。
平凡で、オシャレとは皆無なこの町に暮らしながら
大好きなのに愛着を持ったらなんだか
心が縛られる気がしてた。
私は
「もっとおしゃれで、モダンな暮らしがしたい」って思ってた。
(書いててだいぶ恥ずかしいけど😆)
私はこういう暮らしがしたいんじゃないの、
私は違うのって言いたかった。みたいw
当時「花屋の前で歌ってみたら?」と言われ
(実家の花屋の軒先ね)
えーーーーーーっ
だって、なんかカッコ悪いじゃん。。。。
私に似つかわしくないじゃん。。。。
パリっぽくないじゃん。
(いや、どんな設定。。。w)
……って、頭の中がざわついた
本気で思ってた。
でも、
その「えーーーーーー」って反応の中に、
私の思考の癖と、変なプライドと、
“いらない設定”が全部入ってたよね。
そんなことに気づいた2019年。
そして、
「おしゃれになりたい」って思ってる人って、ずっとダサい。
なんとなくそうは頭で思っていても
結局自分もそうだったなと。。。。。
「運を良くしたい」って人が、ずっと運悪いのと一緒で、
“なりたい”って思ってる時点で
「今はそうじゃない自分」を前提にしてしまう。
だから、どんなに頑張っても、
頑張った分だけ“そうじゃない自分”を強化してしまう。
じゃあどうしたらいいかって、
結局、シンプルで。
もう、かっこよくあろうとか、
すごい人であろうとか、
おしゃれであろうとか、
特別であろうとか、
やめればいいだけ。
(これ全部過剰なエゴの声)
そうしたら、
楽に呼吸できる場所で呼吸して、
自然に動ける場所で動けるようになる。
そして不思議なことに、
その方が人生はちゃんと整っていく。
ただただ自分の
生命のリズムと周波数に戻れば
勝手に生き物として
かっこよくなっちゃう。
私の父母、近所のおじさま、おばさま達をみてると
本当にそう思う
輝いちゃう。
生き生きとしちゃう。
(私の周りにはそういう人が多い)
私はあれから、自分の中の
「静けさ」にどんどんと潜り込むようになり、
自分の生命のリズムと周波数で生きるようになりました。
でもそれは、
もともとあった感覚だとも思っていて
だからずっと『戻る』って書いている。
そこにいるとその人の生命の本流の流れが起こる
それが、すごい力だなって思うようになりました。
私は、華やかで、にぎやかにみられるけれど
私の中にはずっとずっと静かな場所があって
そこにいるのが一番好きです。
でも、それはどんな人にもある場所で
生命(いのち)が起動する場所だということもわかりました。
静かな場所での静かな感覚は
元気がないとか、つまらないとか
退屈なことじゃなくて、
今感じるのは
生命力が肚に集まっている状態なんだなって。
そしてそこから
勝手にその個性は磨かれ
その人にしかない色が立ち上がり
その人しかないセンスで生き始める。
宇宙の法則とか、エネルギーとか、
そういう話って「特別な人のもの」みたいに思われがちだけど、
私の感覚では逆。
それは、
生きるために使ってなんぼなんだよね。
なんか勘違いされてる。
町内会でも、花屋でも、台所でも、
むしろそっちでちゃんと使って欲しい。
そしたらわかることがいっぱいある。
日常で使えない宇宙感覚は、
ただの憧れになっていく。
町内会の餅つきみたいな日常の中で、
人と笑って、手を動かして、季節を感じて、
その中に「整う」がある。
静けさも、祈りも、表現も、
ぜんぶ 生活のためにある。
生活の感覚に根付いてる。
表現って、
特別な世界に行くためじゃなくて、
日常を生きる力を取り戻すためのものだと思ってます。
そんなことを感じた日でした🌿


