そして昨朝は、
ちゃんと揉めないと
本音は伝わらないよ
(写真なし
)あるのは知っていたけど、目の前に登場したのは確か初めて。
まさにそう思っている最中だったので、出てきたときは (◎o◎) でした。
ちゃんと揉めるのは大切。
ちゃんと揉める=「いい結果」になる とは限らないと思う。
決裂すべきは決裂するかも知れない。
そしてかえって後味の悪い思いをするかもしれない。
けど、揉めることから逃げていた時とは全然違うものが見えてくる。
理屈が単なる理屈じゃなくなってくる。
あるいは腑に落ちていたものがさらに深まってくる。
何よりちゃんと立ち向かった自分を感じることができる。
前は全否定だけだったのが、肯定・否定から離れて自分を認めることができるようになる。
いい意味でも悪い意味でも
「あなたには何を言っても大丈夫」
「何を言っても受け入れてもらえる気がする」
と言われることがあった。若い頃から。
中には「あなたには何を言っても後腐れがないから安心」とストレートに言う人もいて、そんなときな不快だったけど、そうでなければ「より多くの人を受容できる自分」でいることが心地よかった。
でもそんなことは意味がないとわかってきた。
心地いい自分でいるために、あえて見ないようにしてきたもの、棄ててきたものがあるのに気づいたから。
それらをしっかり取り込んだ上での受容ならともかく、私がしてきたのは「いい子ちゃんごっこ」に過ぎなかったんだ。
これまでの自分なら言わなかったことをあえて言ってみる。表現してみる。そんなパターン崩しをして、自分の中に「嫌なやつ」がいることもわかってきた。(いなかったことにしていた嫌なやつ、という意味ね)
で、その「嫌なやつ」を繰り出してみると、あ~ら不思議、自分が人間として生きている気がする。
「ちゃんと揉めないと本音は見えてこないよ」
この意味は表面的には 他人と揉めないとその人の本音は見えてこないよ かもしれないけれど、人と揉めてみて初めて見える自分の本音、ということでもあるのかな。
チキン系も戦闘系も、きちんと揉めようね。
でも、きちんと揉める=無駄に揉める じゃないから。
