わたし達は、
必要とされる日もあれば、
そうでない日もあって、
会いたくてたまらないのに、
会えないときもある。
そんなことは、
もう十分にわかっているんだけれど、
「ずっと求めていてほしい」。
夜、相談室に届く声。
けっして、不自然なことだとは思わない。
人は「つながり」の中で生きているのだから。
けれど——
絶え間なく、求めてしまうのは、
虚無と渇望の渦に飲み込まれそうな、
不安と焦燥が、襲うからなのかもしれません。
⚫︎安心と必要の相関
子どもの頃に。
親の顔色を気にして、
頼ることも、必要とすることも、
許されなかったとしたら。
小さな「私」は、
どこに安心を求めればいいのだろう。
わからないまま大人になった「私」は、
誰かを強く求めて、
手を伸ばし続けてしまうんだろう。
不安定な安心だとしても、
不確かな価値だったとしても、
きっと、それを感じずにはいられない。
⚫︎必要の檻
彼女たちは、彼に執着しているわけではなく
「必要とされること」
そのものに囚われている。
だから、
「彼に必要とされない自分なんて、
なんの価値もない」
そんな考えがつきまとうのだけれど、
それは、
「価値」じゃなく
「自己評価」なんだよ。
なんて、伝えたところで、
絆創膏の代わりにもならない。
傷口は、もっと別の場所。
自分の価値を見失ったときの空気感が、
あまりにも苦しくて、
「どこで息を吸えばいいのかわからない」。
それが、耐えがたいほど痛むのだと思う。
⚫︎ありのままから、ときどき。
わたし達は、金でも宝石でもないし、
価値を付ける『モノ』じゃない。
そうでなければ、
わたし達は「商品」なんだろうか。
ある日、実家の玄関に、
みつをさんの日めくりカレンダーが掛かっていた。
『そのままでいいがな』
器用に愛せない自分も、
誰かを必要としてやまない自分自身も、
ひとまず “そのままでいい”。
けれど、
そのままだといつまでも埋まらないから、
ときどき自分を、ただ、見つめる。
誰かばかり見ている自分に、
置き去りにされる感覚は、
誰かにも必要とされないことよりも、
ずっと苦しいことなのかもしれない。
「誰かに委ねる呼吸より、
自分を愛する呼吸は、深く、心に、
行き渡る。」
“A heart that forgets how to breathe seeks breath in another.
But a breath of self-love flows deeper, reaching every part of the soul.”
——et.
わたし達は生きるために、
息を吸う、息を吐く。
人を見る、自分を見る。
どちらも、交互に、半分ずつ。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な一日を🕊️

