運命学研究家 根本 沙璃(さり)です。
変化が激しく、周りの空気や情報に
心が揺さぶられやすい今の時代
知らず知らずのうちに、自分の
エネルギーをすり減らしていませんか?
誰かのために、自分を後回しにして尽くすこと
世間では、優しい人、思いやりがある人
と、美徳として捉えられがちです。
けれど、その自己犠牲は、本当に相手への
愛から出ているものばかりでしょうか?

実は
ちゃんとしていないと認めてもらえない
期待に応えないと居場所がなくなる
という不安や恐れから、無理を重ねて
しまっていることも少なくありません。
たとえば、体力が限界で眠くて仕方がない夜
「今日はもう休もう」と思えばいいのに
部屋の隅のホコリが気になって
夜遅くに掃除機をかけ始めてしまう。
明日やっても困らないはずなのに
なぜか手を止められない。
もしそんな状態になっているなら
まずは自分のための
境界線
を引いてあげてください。
今日はここまで。
ここからは私の休息の時間
と区切る。
自分のコップがカラカラなのに、他人に水を
注ぎ続けようとしても、いつか倒れてしまいます。
まずは自分自身が心地よく息ができる状態を守る。
それは決してわがままではありません。

そして、自分を満たせるようになってくると
次に向き合うことになるのが
コントロールへの執着です。
私たちは無意識のうちに、自分や他者を
「自分の思い描いた枠」の中に収めようとしてしまいます。
まずは、自分に対するコントロール。
大人なんだからイライラしちゃダメ
こんな時こそ前向きにならなきゃ
感謝しなきゃいけないのに
そうやって湧いてきた感情を力づくで
抑え込むのではなく
あぁ、今モヤモヤしてるんだな
怒ってるんだな
と、ただそのまま受け止める。
自分の感情を無理に管理しようと
しないことも、自分との健全な境界線です。
そして、激動の時代に人間関係で
特に大切になるのが、相手との
愛ある境界線です。
たとえば、隣にいるパートナーが
不機嫌そうにしていると
「どうしよう、早く機嫌を直してもらわなきゃ」
と落ち着かなくなったり
大切な家族に対して
「絶対に失敗せず、幸せになってほしい」
と強く願ったり。
もちろん、そこには純粋な優しさがあります。
けれど少し立ち止まってみると
相手が不機嫌だと、自分が不安で落ち着かないから
自分が安心したいから
という気持ちが混ざっていることもあります。
子どもがつまずいて泣いているとき
親が先回りして足元の石ころを
全部どけてあげるのも似ています。
本人が転んで、悔しがって、自分の足で立ち上がる。
その遠回りや失敗も含めて、その人自身の大切なプロセスです。
相手の課題に土足で踏み込んで
こちらの都合で変えようとしないこと
この人は、自分の力で答えを見つけて歩んでいける
そう信じて一歩引き、静かに見守る。
求められたときには、温かく手を差し伸べればいい。
でも、求められてもいないのに
こちらの不安を埋めるために相手を動かそうとしない。
この「課題の境界線」を引くことは、決して
見放すことや冷たさではなく
相手の尊厳と力を信じる
愛そのものです。
世の中が揺れ動き、先が見えにくい時ほど
他人の感情や問題に巻き込まれやすくなります。
相手が笑っていても、怒っていても、落ち込んでいても
その人にはその人の時間があり、選ぶ権利があります。
「それは、あの人の人生のプロセスなんだな」
と境界線を引いて尊重する。
川の流れを無理にせき止めたり
変えようとしたりせず、流れるままに見守るように
自分と他者を思い通りにコントロール
しようとしない軽やかさを持つ。
愛ある境界線があるからこそ、私たちは不安に呑まれず
お互いに心地よい距離で支え合っていけるのだと思います。