『ウォールストリート・ジャーナル』電子版に「職場において女性の足を引っ張るのは女性」という記事があった(→Wall Street Journal)。
趣旨は「自分の地位を守れるかどうかの不安から、女性が女性の足を引っ張る例がある。働く女性にアンケートをとると、男性からより女性から非礼な扱いを受けたという人が多い。だが、その女性には、自分が足を引っ張ったという意識はない」というもの。
賛同できるが、分析が弱い気がするので1つ足してみる。
たとえば、日本の内閣を見ると、近年は「女性枠」がある。必ず重要閣僚に女性を1人は入れないといけないといった無言の縛りだ。語弊を恐れず言えば、枠なので、経験や能力に不安があっても誰かは入れざるを得ない。
今だと総務大臣の野田聖子氏がそれにあたる。前だと防衛大臣の稲田朋美氏。法務大臣の上川陽子氏は「女性枠」の要素もあるだろうが、能力が高く、私の見立てではこれにあたらない(そういう意味では貴重な政治家だ)。
ただし、稲田氏については法務能力は高い。また、自衛隊トップの方に伺ったが、報道と違い、能力はじゅうぶんだったと評価されていたので、念のため付け加えておく(実は一貫して私もそう思っている)。
ここで要求されるのは「女性としての華」である。なぜなら、「紅一点」として目立ってもらわないといけないからだ。上川氏は戦力であって、華の役目ではないので、ちょっと違う。また、私は本来は上川氏タイプがつねに抜擢されるべきだと考えている。
これはわりと世界的な傾向もあり、日本で派手に報道された例だと、「美しすぎるローマ市長」の例を思いつく。当選したときはえらく話題になったが、その後、全くの無能でローマ市がますます疲弊したことで、報道もトーンダウンしている。
だから、上昇志向のある女性に、この「枠」は限られている。だから、枠を得た者は必死に守るし、これから枠を得たいものは必死に追い落とそうとする。
この「華」というが厄介で、やはり年を取ると「華」の力は落ちる。時間が経過すれば経験がつめるのだから、本来はメリットになるはずだが、「女性枠」に関しては逆である。
だから、そこには嫉妬も出てくる。枠の取得者は若者を「無能」とののしり、若者は「ババアのくせに権力にしがみつく」となるわけだ。ちなみに、杉田水脈氏のLGBT論文歪曲問題でも、この現象が拍車をかけた面がある。
そもそも、権力闘争とはそういうものだ。善し悪しの問題ではないし、イギリスやドイツなどの在り方を「成熟」、日本を「未熟」と見るのも、ちょっと違う気がする。面倒なことをしょっ引くと「社会秩序の守り方」の違いだと思う。
社会が男優位で、男が女性のルックスするだけで見て、女性側もルックスの良さを女性としての魅力の中心に見る限りは、この現象は続く。男性社会では、女性の参加を増やすために「枠」が設けられる。その限られた「枠」があるかぎりは、こういった「戦い」は続く運命にある。
ただ、これも薄皮を剥がすように変化はしていくはずで、いつまでこの状態が続くかは「両性の合意」しだいである。
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