番組当初から数年間、安住アナは若さとスタミナをフルに使って、しかも現在のように前日ぎりぎりまでのテレビの生放送がなかったこともあって、ラジオでは一線級アナとしての業(わざ)を見せつけるかのごとく、たいへんなパワーで「マイクパフォーマンス」を披露していた。
現在の安住アナは、人気アナウンサーとして殿堂入りし、社内でもそれなり地位に就き、実力派アナウンサーとして中年期を迎え、しかも前日深夜まで仕事をしているので、ほとんど「弱り切った」というべき状態でマイクに向かっているのが透けて見える。
通常なら本人のパワー低下とともに番組のパワーも落ちるところなのだが、安住アナの場合は必ずしもそうはならない。むしろ、そういった状態のほうが本来の言葉への感性が表現できて、思わずおっと声を出しそうな卓越した表現を繰り出してくる頻度が増えたりする。
以前の意識的に計算し尽くしたトークもすばらしいのだが、疲労から「何を言っているのかわからない」という状態の手前で踏みとどまって、言葉が感覚的になり、私のような常人が考えもつかないような表現を繰り出してくるのも、それはそれで面白かったりする。
だから、この番組は安住アナの金言・名言の宝庫だ。
私はわりとこまめにメモするほうなので、そういった安住アナの言葉もメモしておけばいいのだが(テレビ東京の経済番組はときどきノートにメモしながら見ている)、この番組については純粋に楽しみたいので、「さっき、安住アナ、何と言ったんだっけ?」などと思い出そうとしても忘れているといったことがよくある。
単に消費するだけにはもったいないが、記憶するほどの名言でもないというほどほどな感じが、この人の優れたエンターテイメント性である。
さて、今週の番組で「おっ」と思ったのは、聴取者の投稿を読むコーナーで放った「人生は自意識との戦いです」という言葉である。
今週は「私のおしゃれ」というテーマで投稿を募った。その1つ、50代男性の投稿。内容を自分なりにまとめる。
「寝る前に炭酸水を飲むのが習慣になったが、これっておしゃれなのかもしれない。そういえば、スーパーのレジで、AKB48のまゆゆに似ているお嬢さんが、酒類をチェックするときは心なしか不機嫌だが、炭酸水をチェックするときは自分をにこやかに見てくれている気がする」
ちょっと聞くと、すこしだけ「危ない」内容。
ところが、安住アナはその「危なさ」をスルー、いや、むしろシンパシーを持って処理して、さきほどの「人生は自意識との戦いです」と言い放つ。
私はこの言葉にぐっと来た。やはり安住アナはただ者ではない。
もしかしたら、この言葉にぐっと来る意味がわからない人もいるかもしれない。いや、女性がぐっと来ない人のほうが多いかもしれない。
上に述べた「危なさ」とは、言うまでもなく、愛らしいレジのアルバイト女性の単なる愛想笑いに、中年男が「自分の対する好意に裏づけされた、女性の戦略としてのほほえみ」を見いだすことだ。
いや、普通の若い女性なら、その前の、「寝る前に炭酸水をグラスに注いで飲んでいる俺っておしゃれかも」と思っている50代を想像した時点で、気持ち悪がるかもしれない。
自意識に理屈はない。好みの女性が自分にほほえんだら、直感的に「この人は自分に好意を持っている」と思うのが、男の自然な性(さが)というものである。それを打ち消すのが、「俺は中年で、男性的な魅力なんてない。そもそも自分は客なので、この明るそうな女性は誰にでも愛想笑いするのだ」などと、「常識」を盾に自分に言い聞かせる、意識の力である。
自分の都合の良い解釈をするというこの「自意識」という名の心の働きは、人として(あるいは男として)実に自然なものなのである。それに対して「大人」というものは、これまで積み上げてきた経験で培った常識という名の武器で、そういった都合の良い解釈をいったん打ち消す。
でも、それで終わらない。やっぱりもしかして、と、自意識がもたげてくる。いやいや、そうでないぞ、俺。うぬぼれるな・・・・そうやって、主観と客観はお互いをエンドレスに打ち消しあっていく。結論が出ない。
かくのごとく、男にとって人生とは自意識との戦いなのである。
「この人、危ないですよ」などという野暮なコメントをせず、むしろその正直さを評価しながら、「人生とは自意識との戦い」という短いコメントでまとめる安住アナは、言葉の魔術師である。
過剰な表現、不必要な大声ではなく、こういった言葉を使えることが、アナウンサーとしての、いや人間としての成熟の1つの証(あかし)だろう。
では、まだ40歳にすぎない安住アナに、なぜそんな芸当ができるのか。
それは、安住アナがこの番組で、過剰な自意識を表現することでいつも浄化しているからだろう。
たとえば、「見えないところで人に役立つことをした」と言ったら単なる自慢だが、「見えないところで人に役立つことした私って、すごいと思いませんか!」と言ったら、エンターテイメントして昇華する。いったんしゃべったら、それは許される。
自ら自分の醜さを笑うのは、エンドレスの戦いを打ち止めにする浄化なのである。安住アナはだからこそ自分をよく知っているし、ほかの人のことにシンパシーを持つ余裕もある。
ただ、それは誰でもできる業(わざ)ではない。それをやるには、福田康夫元首相ばりの自分を客観的に見る能力と、的確に(というより過剰に)それを表現できる言葉の能力が必須である。それが安住紳一郎が言葉の魔術師たるゆえんだ。
ただし、今回の場合、1つだけ付け加えなければならない。
これは共同作業である。安住アナと同じような能力を持つ50代男性が、投稿という手段で安住的方法でそれを表現して、それを安住アナが「人生は自意識との戦い」という言葉でまとめるという、高度な合わせ技がおこなわれている。
安住紳一郎の番組に、安住的投稿人が参加して生まれた、奇跡のコラボなのである。
これをあうんの呼吸でやってしまう安住アナ、というかこの2人、一種の「変態」かもしれない。そう言えば、安住アナは自分のことをやたらと「変態」だと言うが、そういう意味ならそうだろう。変態が変態を呼んで、奇跡のコラボが起こったのだろう。
もちろん、こういった変態性は男なら誰にでもある。ただ、それを巧みな日本語表現によってエンターテイメントにまで昇華できる人はおそらく数少ない。安住紳一郎という言葉の魔術師だからこそ可能だった合わせ技だったのだと思う。
私たち日本人は安住紳一郎という人を軽く見過ぎている。ネットに悪口を書くなぞとんでもない。ゆくゆくは人間国宝にすべきだとわりと本気で考えている。
イリオモテヤマネコのように、安住紳一郎をもっと大事にしよう。


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