日本は国際的に評価されているフィンランドの教育制度に学ぶべきところがある。
1つは、教員採用や学校運営まですべて地方にまかされている点である。
フィンランドにも国の教育省があるのだが、おもに教師研修など教師の個人的な技量を充実させる組織として機能しており、カリキュラムなどに口出しできない。実質的に学校運営のサポート機関であり、カリキュラムを含めたすべての運営を学校と地方がおこなう。
もう1つは、教師が授業だけをやっている点である。「そんなの当たり前だ」と思う方が多いだろうし、私もそう思うのだが、この当たり前のことが日本ではおろそかにされている。
ご存じの方が多いだろうが、日本の公立校教師は学校に関わるあらゆる雑務をやらされていて、授業の準備にかける時間をとるのが難しい。しかも、フィンランドのような少人数制ではない上に、授業は能力別や選択制ではないので、ほとんどの生徒が満足できるような授業をやるのは不可能に近い。
フィンランドでは教師は午後4時帰宅という教師も少なくない。授業以外の仕事がないからである。もちろん早く帰るのは、授業の準備をするためである。フィンランドでは教職は大学院卒が普通である上に、競争率が高い。これでフィンランドと日本で差がつかないのがおかしいくらいだ。
日本における教育の問題点として、文科省が東大を頂点とする偏差値ピラミッドを改める気がなく、いやむしろ、プラミッドの維持・強化している点がある。東大が頂点なら、優秀な学生は東京に集まり、多くはそのまま東京で就職する。これを長期で続けていけば、一方的に人材をとられる地方が疲弊しないわけがないだろう。
では、なぜ彼らは東大中心を改めようとしないのだろうか?
それは文科省の役人は東大出身が多いことと、文科省のステータスが他の省庁より低いとされていることに尽きるだろう。後者の理由で文科省にはコンプレックスを抱えている人が多く、だからこそ出身校のステータスを守りたいという気持ちが働く。また本気で教育を良くしようと思っても、後述するように制度的に難しい。
それが、教育委員会の問題である。日教組については問題視する人が一般にも多いのに、教育委員会はさほどでないのが不思議である。
現在の日本の公立教育は、文科省→教育委員会→学校という命令系統ができている。しかも、教育委員会は独立性が強いわりに、教育の専門家があまりおらず、教職経験者の「教育長」が束ねているだけである。
文科省が苦労して作ったプログラムも、教育委員会にその意図がわかなければ、学校はわけのわからないまま「魂の抜けたプログラム」の指示にただ従うだけになる。これではプログラムの考案者の意図どおりに機能するはずがない。
数年前、九州の某県で教員採用試験の不正が発覚して問題になったが、そこで受験生の親たちが働きかけしたのは県議会議員や県教育委員会だった。市立学校の採用なのに、県の「教育の素人」が権力を持っている何よりの証左だろう。
本来は文科省が学校を直接指導すればまだましなのであるが、あいだに教育委員会という「既得権益」がはさまっているために、弊害を起こしているわけだ。
教育に限らず、日本にはこういうのが多すぎるのである。
続きます。

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